【ヒトラーを支えた共犯者たち】ナチスの最も極悪な10人

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しかし、ヒトラーはゲッベルスの大衆扇動術を必要としていた。来るべき戦争に備えて国民を総動員し、覚悟を決めさせるためである。

ゲッベルスの言葉によって、男たちは兵士となり、女たちは未来の兵士を量産する工場となった。やがて、スターリングラードで大敗北し、東部戦線の戦局が傾いても、ゲッベルスは勝利がすぐそこにあるかのように《総力戦》を国民に要求し、ありとあらゆる人々が戦争に協力させられた。

そして、ドイツは滅びた。数百万の国民の命を道連れにして。《ハーメルンの笛吹き男》ゲッベルスは、自らの妻と5人の子供をを巻き添えにして殺した後自殺。それが彼の最期の殺人となった。


フリードリヒ・イェッケルン
Friedrich Jeckeln

《缶詰イワシ方式》という処刑法を確立した大物戦犯

yekkeru

独ソ戦開始にあたり、ハイドリヒが急遽編成したSDと保安警察の移動殺戮部隊は、主にバルト三国やウクライナ、ベラルーシで活発に活動した。当初は男のゲリラや政治将校を標的としていたが、徐々に女や子供などの非戦闘員にも殺戮が及び始める。

9月、ウクライナ首都キエフが陥落すると、イェッケルンはキエフに住まうユダヤ人を一網打尽にする計画を立て、9月下旬にはバビ・ヤール渓谷の処刑場でたった2日間で33771人のユダヤ人が銃殺された。手を下したのはイェッケルン麾下のゾンダーコマンド4aや警察、ウクライナの極右民兵たちで、女子供を問わない大虐殺となった。

犠牲者は物品を略奪され、衣服を脱がされ、バビ・ヤール渓谷まで歩かされた。そして処刑場まで着くと少人数のグループに分けられ地面に横たわるように命令された。その後銃殺班が哀れな犠牲者を処刑する。そして死体が何とか隠れる程度に土をかぶせ、また別のグループを呼び出して銃殺する。・・・・この手順が繰り返された。

これは《イェッケルン方式(あるいは缶詰イワシ方式)》と呼ばれる処刑法で、人間を完全にモノとして扱い、墓穴利用の効率性を極限まで追求するこの方法は、ただ残酷というだけでなくある種の薄気味悪さすら感じさせる。

その後もイェッケルンの計画によって、ラトヴィアのリーガ近郊の森の中でも3万人近くのユダヤ人が銃殺される。以降も、彼は様々な場所で移動殺戮部隊の銃殺や破壊活動、パルチザン狩りを指揮・監督した。戦争後期には《武装親衛隊》大将へ就任し、第五SS義勇山岳軍団の軍団長となったが、ソ連軍に拘束されて死刑となる。


オスカル・ディルレヴァンガー
Oskar Dirlewanger

ベラルーシを血の海に沈めた犯罪者旅団のボス

Oskar Paul Dirlewanger

恩赦を受けた犯罪者、密猟者、ソ連兵捕虜によって編成された教化部隊があった。その司令官についたのがこのディルレヴァンガーだ。司令官からして筋金入りの狂人で、第一次大戦やスペイン内戦にコンドル軍団の一員として戦った華々しい経歴と、政治学博士の肩書の裏には、婦女暴行や変態性欲、ユダヤ人の強姦など、常に背徳と犯罪行為が伴っていた。また、彼はアルコールと薬物の依存症で、生来から粗暴な気質を持っていた。

ディルレヴァンガー特務旅団は、独ソ戦で最も過酷なパルチザン戦が繰り広げられた、ベラルーシや西部ソ連地域で本能のままに暴れまわり、旅団の通った跡に残るのは、黒焦げの廃墟と死体の山だけだった。特に彼らが好んだのは、納屋の中に村人を詰め込めるだけ詰め込み、火を放って生きたまま焼き殺すことだった。逃げようとするものがあれば機関銃で撃ち殺した。ディルレヴァンガー旅団はベラルーシだけで3万人以上を殺害したという。

また、イェッケルンの指揮下で行われた「マラリア熱作戦」では、ディルレヴァンガー旅団によってユダヤ人やゲリラ、その疑いのある者1万人が銃殺された。ベラルーシで任務に就いていたドイツ軍・警察は、1日の殺害人数をノルマとして割り当てられ、大抵は村や町を包囲して機関銃で皆殺しにするか、納屋に詰め込んで焼き殺すか、地雷の処理を無理やりやらせて爆死させたりしてノルマを達成した。

1944年にはポーランドの首都ワルシャワで叛乱の火の手が上がるが、その時たまたま近くにいたディルレヴァンガー旅団が呼び出された。

旅団は、通りを一つ占領するたびにその周辺の建物から住民を「避難させる」と誘い出し、広場に追い立てて機関銃で皆殺しにしていった。旅団の通った後には誰一人動く者はいなかった。老人も婦人も子供も皆殺しにされて死体は山と積まれた。そしてそれらにガソリンをかけて火を放ったのだ。虐殺のあとは爆破した建物で埋めた。病院も襲われ負傷者、病人、看護婦、医者や助手など全て射殺されたという。

ディルレヴァンガーはその後も戦い続けたが、やがて重傷を負い、ポーランド人ゲリラによって処刑されたと伝えられている。


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