ナチスドイツに実在した極悪人を10人ばかり選んでみました。
本当はもっといっぱいいるんですけどね。。
アドルフ・アイヒマン
Adolf Eichmann
ユダヤ人問題の《スペシャリスト》
オーストリア出身の親衛隊(SS)中佐。
ナチスドイツの巨大な秘密警察機構、《国家保安本部(RSHA)》のゲシュタポB4課(ユダヤ人問題担当)に所属し、ナチ占領区の1100万人にも及ぶユダヤ人を絶滅収容所に送り込む仕事をしていた。
アイヒマンは凡庸な男であったが、ユダヤ人問題のスペシャリストになろうと研鑽を重ね、いつしかその道のプロとみなされるようになった。上司のラインハルト・ハイドリヒに見出され、絶滅収容所行きの膨大な量の鉄道ダイヤを管理する立場になった。その仕事を熱心に続け、戦争が敗戦に傾いてもなおユダヤ人の絶滅と、ドイツ本国への移送に執念を燃やし、一人でも多く殺すことに情熱を傾け続けた。
戦後はヴァチカンの手を借りてアルゼンチンに逃亡したが、1960年、イスラエル諜報機関「モサド」によって確保されイスラエルで死刑判決を受けた。これは死刑が存在しないイスラエルでの最初で最後の死刑となった。彼の体は一時間にもわたって吊るされ、死体は焼かれ、灰は散布された。
アイヒマンによって数百万人が絶滅収容所へ送られ、そのほとんどが虐殺されたとみられている。
ラインハルト・ハイドリヒ
Reinhard Heydrich
《金髪の野獣》と呼ばれた秘密警察と諜報部のボス
親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーによって見出され、ナチスドイツの親衛隊諜報機関(SD)の長官に就任後、ドイツ警察と親衛隊の融合をわずか数年で成し遂げた男である。彼の力で最悪の秘密警察機構《国家保安本部(RSHA)》が産み落とされた。RSHAは、終戦までの各所の弾圧や恐怖政治、ユダヤ人の大虐殺の実行犯として働いた。更にRSHAは強制収容所をも支配し、戦時下における礼状なしの逮捕と強制収容所への拘禁を行うことが出来た。
独ソ戦が始まると、ハイドリヒの命令によって対ユダヤ・パルチザン・共産党員のための特殊部隊(アインザッツグルッペン)が編成される。アインザッツグルッペンはわずか数千人規模の部隊であったが、SDやゲシュタポ、各警察から人員が引き抜かれ、現地の血に飢えたウクライナ・ラトヴィア傭兵を吸い込み、進撃する国防軍の背後で何の罪もない人々を手当たり次第に殺し始めた。わずか一年足らずで数十万人の無辜の民が銃殺された。
1942年1月には、ヴァンゼー会議として知られるユダヤ人絶滅のための会議を招集し、ユダヤ人をいかに絶滅させるかを、各省庁の実力者と話し合った。
9月には総統命令によってプラハに着任し、労働者階級の優遇と、即決裁判と公開処刑など、いわゆる飴と鞭の政策で、ほんの短期間で抵抗勢力を消滅させてしまった。その手腕にイギリス諜報機関はハイドリヒを危険視し、大量報復を招くと知りながらも暗殺を決行。暗殺は成功するが実行犯は全員死亡、関係ない人々まで関与を疑われて大量に死刑となった。
この暗殺に《総統》は怒り狂い、無関係の村リディツェ、レジャーキの消滅を指示。命令は実行に移され、二つの村が地図から消えた。
ハイドリヒが産み落としたRSHAはその後も帝国領内で恐怖政治を滞りなく続け、その地位はナチス崩壊のその瞬間まで微塵も揺るがなかった。
ヨーゼフ・ゲッベルス
Joseph Goebbels
嵐を巻き起こす《国民啓蒙省》
ナチスドイツには《国民啓蒙省》という珍妙な省があった。その大臣の地位にあったのがゲッベルスである。ゲッベルスの作り出すデマゴーグや、綿密に練り上げられた演説を前にすると、人々は黙り込み熱心に耳を傾けた。ゲッベルスの大衆を魅了する声の調子、誰でも理解できる精確な表現、辛辣なジョーク、容赦ない攻撃性、彼は大衆を扇動し、興奮させ、茫然とさせることができた。
しかし、ゲッベルスはナチ政権内において常に異端児であった。特に私生活では、その口のうまさと権威を傘に来て、手当たり次第に女性と関係を結んだ。ヒトラーがチェコをいかに手にするか思案していた時期に、チェコ人女性と不倫関係に溺れてスキャンダルとなった。
政権中枢から彼は軽く見られ、重要な計画もゲッベルスには知らされなかった。