東ヨーロッパ・ユダヤ史から紐解く、「ユダヤ人が嫌われる理由」

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起源

かつて、ヨーロッパにはユダヤ人がたくさん住んでいて、そのほとんどは東ヨーロッパの都市部に集中していた。

東ヨーロッパへのユダヤ人の流入は二つの流れがあったとされる。

一つは、8世紀から9世紀にかけて、ハザル国の支配者層がユダヤ教に改宗したこと。この国は東はアラル海から西は黒海の北部まで、ヴォルガ川、ドン川、ドニエプル川の下流域を支配下におさめていた。しかし、ハザル国の国民にまでユダヤ教が定着した形跡はない。

より大きな流れは、11世紀後半の十字軍遠征による、ユダヤ人の迫害である。はるか東方のムスリムへの敵意は、チェコやライン川流域の都市に住まうユダヤ人にも波及し、ドイツの民衆十字軍はむしろ近場のユダヤ人を殺戮することに熱中した。

希望の国?ポーランド

迫害されたユダヤ人たちは東へどんどん逃げて行き、14世紀前半にはポーランドへと到る。ポーランドの支配者層はユダヤ人の財産へ目をつけ、金を払わせてその安全を保障した。ユダヤ人とポーランド王族は長い時間をかけてそのような相補的な関係を作り、それを複雑なシステムとして定着させた。

迫害で苦しむユダヤ人にとってポーランドは希望の国となり、移住が加速する。ルヴフ、サンドミェシュ、クラクフ近郊のカジミエシュなど、多数のポーランドの都市にユダヤ人居住区ができる。このポーランド貴族とユダヤ人の関係は18世紀末のポーランド分割にいたるまで継承されたのであった。

ポーランドユダヤ人の多くは、信教と経済活動の自由を保障され、交易商人や金融業者、職人として活躍する。こうして資金を蓄えたものは徴税請負人や貴族の土地の賃借業へと進出した。王や教会、貴族が持つ徴税特権や不動産、様々な独占的経営権を賃借し、賃借料を前払いする代わりにその収益を自分のものにする仕組みを作ったのだ。

17世紀にはポーランドにおけるユダヤ人の人口は50万人をこえ、国民の5%へ達し、その多くはガリツィア地方に集中していた。

ガリツィア地方とは

ガリツィアではごく少数派のポーランド貴族が、圧倒的多数のウクライナ小農を支配した

東ガリツィアにはウクライナ人とユダヤ人が多く住む

LVIV=ルヴフ(ポーランド語)=リヴィウ(ウクライナ語)=レンベルク(ドイツ語)

※当時のポーランドは現在のリトアニアやウクライナを含むかなり広大な領土を持つ大国だった。