今後何かまとまったコラムを書く際の下準備として、勉強・取材した内容をメモしています(内容は主に歴史、政治経済、サブカルチャー、ポリコレなど世の中のこと。どうでもいい馬鹿日記など。
20231208
嘆かわしいことだが最近は性欲が無くなった。本当に無くなったのかは知らんが、日常で何かの刺激やきっかけでムラムラするってのは皆無となった。気がついたらもう何週間も自慰すらしてない。したいとも思わない。たまにしてみようかと思うこともあるが、ネタにしたい対象がない!こんなのは初めてのことだ。
女とデートしてもお喋りしたなあと思うだけで触れたいとさえ思わない。やべえなあ、どうしたんだろう?と思い、意識して裸をイメージしてみたりしたがうまくイメージできないし、興味も湧かないからだと気がついた。
ある程度お喋りしたら隙をついて手を握ったりキスしたりするのが鉄則だが、する気にもならない。今は合意のないアレコレは全部ダメらしいんで多分この方向性で問題はないのだろう。しかし、明らかに自分が枯れ果てたのが原因である。
思うに、まあまあ女性にはモテてきた人生だった。特に30代以降は常人の域を逸脱していたように思う。その頃は常勤で仕事しながらワークアウトも欠かさなかったし合間合間の時間を見つけて長編小説を書いては応募を繰り返していた。(長編小説を書く大変さとそのエネルギーの必要量は書いてみたものにしかわからないだろうが)その上ブログもしょっちゅう更新し、一つのポストで5000〜10000字連なることもあった。その更に合間の時間で週に2〜3回は女と会い、必ず200%はセックスしていた。元気だったのだ。エネルギーに満ち満ちていた。
残念ながら?長くは続かず今はすっかりゼロだ。喪失感はあんまり無くて、やりたいこと全部やったしもういいなという満足感のほうが大きい。自分はおそらくやりたいことやりきって人生が終息に向かって行く、後半のフェーズに入ったのである。その時期は人それぞれだと思うが、もともと早熟な子供でもあったから老人になって行くのも早いのだろう。
性欲が無くなって、女性に恋慕や恋心とか一切感じなくなってしまった。ある意味では小学校低学年の頃のような、性欲に行動を左右されない無敵の状態へと至った。いい歳してみっともない行動をとり、人に迷惑をかけたり気持ち悪がられたり嘲笑される結末よりはだいぶマシだと思うから、これはいいことだと思う。とはいえ、これは結局のところ「老化」の一言で片付く話であるが。
然るに、人生後半に差し掛かった俺が人生において最も意義深いと思える行動は子供を作ったことだ。産まれるまではいらんと思ってたし、必要ないと確信していたが、無知蒙昧な若者の戯れであった。
今朝、明け方目が覚めてこれからもっともっと枯れ果てていく自分を想像した。例えば60歳になったら。18年後。もしも自分に子供がいなかったら、ただただ朽ち果てて行く心と体と向き合うことを強いられ続け早く死にたい、もっと生きたいと葛藤しながら苦しみ抜いて死に向かって行くに相違ない。
しかし、我が子はといえば24歳だ。瑞々しい若鳥。これから世の中に羽ばたいて行く。人生で最も良い時期。そんな我が子を見ていられるのだから、これは善きものである。それを希望に生きていられる。それを希望に死とも向き合って行けるだろう。
もちろん18年後にはもう死んでたりするかもしれないし、無駄な空想だがその空想を拠り所に今を生きられるなら、まあ悪いことではないだろう。
それを思うと、あの頃、若い自分が本当に子を残さなかったとしたら酷いことになっただろう。今はまだ良い。30代40代は人生において子がいることのデメリットが最大化する時期だからだ。何にもしたいことができない。自由な時間が少ない。圧に常に晒され身も心もくたびれ果ててしまう。子がいなければ好きなだけ寝られるし身軽に自由に生きられる。子がいない事のメリットが最も大きい時期である。
しかし、18年後の自分はそんなに先に思えず、子がいないことを想像すると、そこまで生きる意味さえカケラも見出せない。例えば18年前のことなんて、、、それこそ自分が24だった訳だが、昨日のことのように覚えている。本当に。昨日のことより覚えてるかもしれない。あっという間である。過ぎ去ってしまえば、時の長さなど全く感じない。何とも儚い。夢幻の如くとはよくいったもんである。
60になった自分は我が子を希望に生きると思われる。そうでなければ耐えられないだろう。遠くでそっと見守る感じだと思うが。
今の時代、日本人の半分以上は結婚しないままに人生を終えるのだという。日本社会がこのまま私生児を許容しない偏屈さを保持するままならば、子を残さないまま人生を終える人が大半となる。そういうことになる。それは不幸なことだ。自分が老いたとき、何を拠り所にしてどうやって生きていくんだ。
若い人はゆめゆめよく考えたほうがいい。今は誘惑の多い世の中だ。今は多様性だのなんだので他人と関わらない生き方、自分の欲を優先させる生き方が是とされている。これが本当に正しいのかをよく考えたほうがいい。かといって弱男に需要がない現実もある。本当に難しい世の中になった。
20231205
首と背中の痛みが取れないのでMRIを撮ることにした。これまで首のトラブルは数え切れないぐらい経験したけど、今回は多分1番軽い。凝りが長引いてる程度のもの。この数年はずーっと首が不調で、ここらでメンテナンス的に一度客観的な事実を見ておこうかと思って。
多分、大丈夫だと思うけど何か見つかるかもしれない。見つからないかもしれない。
それにしてもMRIの予約も楽じゃない。予約するために診察受けなきゃならない。するとまずはレントゲン撮ろうとか言われるそれでパシャパシャ意味もないと分かってるのにたくさん撮る→4500円ですーだって。案の定異常なし。つうかレントゲンでは骨のことしかわからないので最初から骨には異常ないとわかってる。お布施と同じだ。問題は七割が税金ってことなんだけどさ。
整形外科って楽な商売だよなホント。
20231204
10月ごろ痛めた背中はデカい凝りになって鈍痛を発していたのだが、ここ最近になって寒さのせいもあろうが悪化してきた。首を傾げると酷く痛む。温泉入ってきたら、その間はほとんど痛まないが温泉から出るともうすぐ痛い。筋肉のしこり、硬さが原因のものと思われる。疲労が溜まっているのだろう。
というか、冬のせいだろうな。ここ最近で急速に寒くなったから。冬になったね。秋、短いね。。日の出も遅く日の入りも早い。俺にとっては辛い季節になってきた。と言っても雨が少なければ幸せなんだけど。。(仕事の関係で雨はツラい)寒いとすぐに体が痛くなる。特に普段疲れを溜めてる背中や首元がすぐダメになっちゃう。去年もそうだった。一昨年もそうだったかも。冬は背骨が悪くなる。
はあ、、、、
夏の無限のエネルギーはどこいったか。力でない。やる気出ない。すぐ疲れるし、何もかもが面倒。普通のダメな人になっちゃった。。冬は俺にとってオフシーズンだ。
夜はやたら早く寝てる。20時半にはやることないし眠いしで寝ちゃうんだよね。で、5時ぐらいに起きて、特に何もやっぱりすることない笑
クライミングと仕事と家族サービス以外の時間はほんと何もしてない。故障するとクライミングができないから、温泉入るとかなんか食うとか、更に寝るとか。そんな感じ。普通のダメなオッサンだな
酒でも飲めば気持ちが安まるだろうか?しかし、飲んで楽になってまた飲みたくなっても困るからやめておく。酒は悩める魂の救済だが、結局問題を先送りにしてるだけ。別に先送りしたっていいけどさ、、、酒は体重増えるしクセになるからもうやめておく。友人とたまに飲む酒は楽しいが…一人で飲んでもしょうがない
人生の残り時間を考えると、ここで冬の間まるまる停滞するのは嫌だ。あんまりもう時間ないからな。でも体がついてこないしやる気も出ない。なのに焦燥感が酷い。焦る。もうあんまり長くない筈だから。早く結果を出したい。そして、自分を褒めながら死んでいきたいのだ。
20231202
最近ほんと人生の残り時間をよく考えます。あまり多くないのは確かです。いつまでも当たり前に健康だなんてそんなわきゃない。
最近、死を身近に感じることが増えました。何かあるとすぐここが自分の天命なのかとか考えてしまう。で、昨日もそんなふうに考えていたんだが、ふと思ったのは「今ここでもうすぐ俺が死なないにしても、全然そんなの杞憂だったとしても、でも人生もう後半だな」って事実である。
電車の向かいの席の冴えない顔したくたびれたオジサンを見ていた。55歳ぐらいだったかな?50代って遙か先だと思っていたんだけど気がついたらもう目の前だね。全然すぐそこの未来な訳よ。
50代になったら何が楽しくて生きるんだろうね。今みたいにボルダリング三昧は無理じゃないかな?体が故障しやすくなって、だんだんやる頻度が減ってくると思われる。すると、今みたいに体を絞るモチもなくなるよね。すると、暴飲暴食に走ったり、やめて久しい酒を飲んだり、それしか楽しみがないかもね。
知的活動も、当然脳の品質低下してるわけで、大したことできないよね。クリエイティブな作業は無理でしょ。読書なんか今でもほとんど進まないのにできる気がしない。何より何かを読んだとしても、それを語らう仲間がいないんだから張り合いもない。楽しみも半減。
仕事も何してるかわからないね。会社勤めを拒否して今のような生き方してるが、それが10年後もできるとはちょっと思えない。仕事を生き甲斐にするタイプでもないから俺は。起業できるほど頭も良くないし何かを積み上げてきた訳でもない。
恋愛だってできないでしょ。今はかろうじてやろうと思えばできますけど、50代はどこ行ってもお呼びじゃない。50男と仲良くしたい人なんて老若男女どこにもいないだろう。つまり、もっともっと孤独になる。
どこかに、何かに、楽しみや充実感、熱中できる対象を見つけないことには、生きていても死んだも同然ではないか。老化は実にナチュラルにそのような状態に陥いる訳だ。かと言って子供の人生に覆い被さるつもりはない。子供は子供で自分の人生を生きる筈だ。俺は彼女が羽ばたいたら邪魔にならないようひっそり見守るだけだ。楽しみとか生き甲斐にするのは違うと感じる。
観念論ではなく、例えばボルダリングは体に負担が強いからリードクライミングに切り替えるとか、近づいてくる死を前にして対策を立てる意味で仏教を独学するだとか、寺めぐりをするだとか。何か具体的な作戦が必要なんだよな。
年々感情も死んでいって、瑞々しい感性などすでに死に絶えていて、気がついたら一回も笑わないまま一週間が終わることも多々ある。なかなか新しいことに興味を持つのも難しい。新しいことも覚えられない。それが老人ってもんだ。自分も一歩一歩そこに近づいていって、気がついたらもう目の前だ。今から考えておかないと途方もない絶望が人生の最後に待っていて、押しつぶされて、死ぬのはまあいいが絶望しながらってのは嫌だね。
まだまだやりたいことたくさんあったのにナアと死んでいきたいものだ。
20231201
今年もあと1か月。11月風邪の影響でいまだに胃の調子が悪い。胃薬手放せない。コーヒー飲めない。胃腸にくるウィルスが流行ってるのかな? つくづく健康が大事だと痛感。金なんてなんとかなりますよ。たぶん
兄がガンになって、住宅ローンの残債がチャラになった時、ワタクシは「良かったね〜」なんて声かけてしまったのですが、当時の自分は金を稼ぐことが人生における業で、もう仕方がないのだと諦めていましたからそんな価値観でモノを言ってしまったのです。兄には当然「病気になったんだから良くないだろう」と言われました。本当にその通り。ガンとかこの世で一番なりたくない病気。金なんて取るに足らない。無神経な言葉を反省しています。
いわゆる社畜をしていると金の亡者になるしかありません。生活費稼ぐために人生の貴重な残り時間を大幅に使い込んでしまってるんだから。そこまでして稼ぐ金。大事なモノだと思いたい。まーもちろん大事なのですが、金より健康が大事なのは言うまでもありません。
そして、人生でまだまだこれだけやりたいことあるぜ!って人なら金よりも大事なのは時間ではないでしょうか。時間は食えないので金に変換する作業(=労働)はどの道必須ですが、自分の時間を全て労働に割くのは不幸なことです。週5回も労働に割くには多すぎる!疲れて何もできん!そう思ったので会社を辞めました。
ある程度稼ぐと税金もとんでもないです。残念ながら、世の中は年収400〜600万ぐらいの普通の労働世代の人が一番損するようにできている。非常に残念ながら。一番苦しむようにできているのだ。
貯金とか、税金と社保まともに払ってたらできないんで、大人はみんな財形貯蓄したり個人年金に入ったり住宅ローンを組んだりして実質貯蓄にひた走るのだ。
とはいえ、ワタクシも住宅ローンを全部親に払ってもらった奴とかこの世で一番嫌いですけれども、まあまあいるんだそういうやつ。みんな得した経験はそんなわざわざ話さないから。家計が苦しいって話は膨らましてじゃんじゃん特売でノシつけて売り捌く訳だが。その手の輩に殺意が湧くのはヒトとしてまあ仕方がないでしょう。そんな半人前野郎は俺は認めん。例えガザ地区の戦争をたった一人で終わらせたとしてもだ。そんなやつは知らん。対等と見れないのでそんなやつは勝手に好きにやってろという感じだ。
まー、と言うのも色んな奥様とお話してますと、家の家計事情とか旦那の収入とか色々赤裸々に話す人もけっこういるんすよね。まともに自分の力のみで稼いでる人はそんなに実は多くなくて、いい歳して太い実家に支えられて優雅な生活を送ってるやつは数多い。人の芝は青く見えるわけでそれに比べて自分はなんて…とガッカリすることも多いですが、この歳にもなって親に何か期待してグチグチ言うのとかもっとクソダサいですんでね。そもそも親には十分にやってもらってこれ以上何も言えんですわ。それ以上を期待するとかありえんすわ。遺産とか土地貰うだとかローン払ってもらうだとか信じられん。児孫のために美田を買わず、って言葉を知らんのか?? 腹立ちというより軽蔑に近い感情ですなほんと。
まあ、とはいえ金金金金考えていた頃は今の100倍はムカついて嫉妬していたのですが、今の自分はクライミングに出会ったので金の価値を冷静に捉えることができるようになりました。金をいくら積んでも二段は登れない。金で登れたとしても何の価値もない。それは確かなことなのです。
金では手に入らない貴重な何かを見つけそれを手にするのが人生ではないかと思います。それと同時に生きるために幾許かの金は必要なんで、それを工面するために労働はしっかりやりつつ空いた僅かな自分の時間で何事かを成し遂げるのがスマートではないかと思われます。というか俺はそう思うんでそんなふうに生きております。
そこでまだ親に頼ろうとか言語道断すわ。甘えてるから恨み節も出るンだわ。独り立ちがまだまだできてないってことにござる。