大衆とは
ロシアのボルシェヴィズム、イタリアのファシズム、ドイツのナチズムは一握りの指導者が数多の国民を動員して遂行した巨大な大衆運動の良い例である。ボルシェビキ指導者レーニン、ファシスト総帥ムッソリーニ、ナチス総統ヒトラーは、超人的なカリスマ性と演説技術、完璧に練りこまれた演出、宣伝方法を動員し、国家をその手に握った。特にムッソリーニ、レーニンが戦闘的武装集団による暴力的な手段で政権を奪取したのに対して、アドルフ・ヒトラー率いるナチは、党宣伝部長ヨーゼフ・ゲッベルスをはじめとして、宣伝、大衆動員法を知り尽くした者たちによって、選挙で合法的に政権を獲得したのである。これらの少数のエリートによっていかに大衆が操作されやすく、また簡単に大衆が操作されうるかということを実証した歴史的にも忌まわしい事件であった。
では「大衆」とは何なのか。スペインの哲学者ホセ・オルテガによれば大衆とは「無個性で周囲の人間と同じだと感じ、しかもそれを苦痛に感じない、むしろ満足感を覚える全ての人々のこと」である。日本には「出る杭は打たれる」ということわざがあるが、周囲と同化することは社会的な存在として人間には必要なことである。すなわち、オルテガは大衆とは凡庸なる平凡人だといっていると解釈して問題ない(若田、1995年)。
大衆という存在がスポットを浴びるようになったのは、情報通信手段が飛躍的に発達した産業革命以降のことである。大衆は近現代の申し子であり、現代は大衆の時代であるといえる。
大衆は、「産業革命以降、伝統的な政治的、宗教的枠組みが崩れ、家族、近所付き合い、農村の横のつながりに亀裂が生じたことによって発生した。自分たちの土地や故郷から引き離された人々は、都市という不安定な世界に目を向けざるをえなくなり、集団の中にうずもれていく。伝統慣習社会とは違って現代は、市場にお互い何の絆もない無名の個人を多数作り出した」のである(セルジュ・モスコビッシ)。
大衆の最大の特徴はその画一性である。産業革命以降出現したメディアによって、我々は常に画一的な情報に晒されている。大量生産された画一的な食べ物を食べ、画一的な住居に住まい、画一的な就業規則に縛られている。そして音楽や映画、スポーツにいたるまで、メディアから流されるおびただしい画一的情報に影響を受けざるを得ない。このような画一的な社会で生きる以上、我々の行動も画一的になるのはやむをえないと言える。そしてそれは社会性を保持するという意味で必要なことなのである。
大衆が個性的になることはない。よく売れてない音楽やマイナーな映画をよく観るからと言って「おれって個性的ジャン?」みたいな人がいるが、そのような「個性」も画一的情報の一部に過ぎない。そのような「個性」は釈迦の手の上の孫悟空のようなものである。大衆は大衆であることから逃れることはできない。山にでもこもらない限り。
そして人間は無意識に他人と違うことを恐れる。大衆は周囲と同じような服を着、同じような音楽を聴き、同じような情報を共有し、同じような価値観に影響され、周囲と同じ規範を守ろうとする。人間が社会的存在である以上、このことから逃れることはできない。昨今は個性が重視され、無個性を軽蔑する風潮がある。そしてそのような風潮もメディアが煽ったものであり、よくロックミュージシャンが無個性を批判する歌詞を書いているのを見かけるが全く持って滑稽なことである。現代社会において個性的、非凡であることはきわめて難しいのだ。
大衆とは何故周囲と同じような行動をとり、時には同化さえしてしまおうとするのか。それは明らかに孤独からくる不安によるものである。人は孤独を最も恐れる。産業革命以降、農村の社会的絆から解放された人々はいわば根無し草のような存在となった。連帯すべき仲間、従うべきルール、秩序を失った。都市の中では雑踏に埋もれていたとしても、連帯感、従うべき秩序を得ることはない。現代の大衆は自由を得るかわりに伝統的価値観、秩序、しきたりを失ったのである。このことは孤独をもたらす。このような孤独が他人に同調しようという行動を産む。同調することによって孤独を緩和しようとするのである。
大衆は権力を好む
フランスの社会学者ギュスターヴ・ル・ボンはこう言った。「大衆は弱い権力には常に反抗しようとするが、強い権力には卑屈に屈服する」 大衆は性質として権力を好み、このことはナチズムやファシズムと結びつけて論じられてきた。しかし、これはイタリアとドイツ固有の傾向ではない。現代の大衆にも当てはまることなのである。ここでの権力を好むこととは権力者に対する服従はもちろん、目に見えぬ因習、多数派に対する同調などの「匿名の権力」も含まれている。
脆弱な自我しか持たぬ人間は、自らの力で考え、判断し、決定し、行動するという自主性を欠いている。常に自分以外の何かに頼ろうとする(人とは限らない)。外部の大きな何者かによりかかろうとする。これを権威主義という。大衆は権威主義的なのである。
現代人は孤独でありそのことに不安を感じている。常に外部の力に抱かれたいと思っているし、強力な指導者を待ち望んでいる。こうして大衆は簡単に他人の指示に従う、暗示にかかりやすい自動人間となるのである。このことはヒトラーが「わが闘争」の中で言ったが、ル・ボンの受け売りであると考えられる。
ル・ボンの著作「群集心理」はムッソリーニやレーニンも大衆動員の手段として引用した(若田、1995年)。彼ら大衆運動のリーダーたちは、大衆や群集の性質、すなわち、①暗示にかかりやすい②衝動や感情に駆られて行動する③外部からその行動を操作することが容易である、ということを熟知していた。ル・ボンから学んだのである。レーニンは1895年、フランスに亡命中にル・ボンの「群集心理」に出会ったと推測されている。レーニンはプロレタリアートの間に戦闘的マルクス主義を広めようとする方法的戦略でル・ボンから多くを学んだ。例えばレーニンは大衆の心を捉え、大衆を動かすために、思想を凝縮して単純化し、単純で扇動的なスローガンで大衆を動員しようとしたが、この方法は明らかにル・ボンの議論に基づいている。(藤竹) ル・ボンの研究を実行に移した革命家はレーニンが初であった。
また、ムッソリーニは明らかにル・ボンとの関係が深いことがわかっている。ムッソリーニ自身が、彼にとって最も重要な書物が「群集心理」だったと証言しているのである。(藤竹) ル・ボンも大衆運動のリーダーとしてムッソリーニを高く評価し、自分の署名入りの著書をムッソリーニに送ったし、ムッソリーニも彼を賞賛していた。ムッソリーニは全体主義という言葉を使ったが、その意味は個人が国家という集合体に完全に埋没している状態のことで、これはル・ボンのいった「群集」によく似た状態である。また彼はこうも言った。「民主主義は人間が理性ではなく感情によって導かれることをわかっていない。我々ファシストは感情の水源を引き出す…」
またヒトラーもミュンヘン一揆に失敗した後、ランツベルク拘置所で「わが闘争」を口述筆記したが、その中でル・ボンの大衆理解に基づいたと思われる、大衆動員法の戦略について信念を繰り広げている。たとえば、大衆は感情に動かされること、暗示にかかりやすいこと、集合体の意志に盲目的に従うこと、大衆が単純化と断定を好むこと、大衆は強権的な指導者を待ち望んでいることを主張したが、これは「群集心理」の中でル・ボンが述べていることと全く同じである。
レーニン、ムッソリーニ、ヒトラーは政治的意向こそ違えど、大衆動員という方法においてほぼ同じであった。
大衆は模倣する
ガブリエル・タルドによると、大衆は模倣する。大衆は模倣することによって周囲と一体感を感じ、孤独を緩和する。
人はしばしば意図せずに無意識に他人の考えや行動を受け入れ、同じ考えを持ったり行動するようになる。これをタルドは非論理的模倣と呼んだ。このような模倣を感染と呼んだり、暗示と呼んだりする。
大衆の時代に、我々は会ったこともない人物の模倣をすることができるようになった。マス・メディアの力である。大勢の見も知らぬ仲間の存在を想像することによって、暗示の効果はいっそう強められ、無意識的な模倣はより確実に行われるようになる。こうしておびただしい数の大衆が共通の信念や行動によって動かされるようになる。感染と呼ぶのがふさわしいかもしれない。こうして大衆運動は起こる。大衆は雪だるま式に周囲を巻き込んで力を増幅させていく。常に他者との連携を求めている大衆は易々とこの運動から発せられるエネルギーに圧倒される。このような現象は「バンドワゴン現象」と呼ばれる。大勢の人々の流れから取り残されること、みんなが乗り込んでいくバスに乗り遅れることはしばしば耐えがたい苦痛を伴う。昭和初期の日本において、「バスに乗り遅れるな」という、全体主義へといざなうスローガンが流行したことを思い出して欲しい。
メディアの力
その1 新聞
最初に出現したマスメディアは新聞だった。19世紀後半、印刷技術の躍進と共に、新聞の発行部数は飛躍的に伸び、瞬く間に大衆の間に浸透していった。
新聞の普及によって現れた最初の大衆運動の例をフランスに見ることができる。
1880年代に起こったブーランジェ将軍事件である。
背が高く金髪で青い目の、絵になる男であった。
陸軍士官学校出のエリートで、数々の武勲を打ち立てた男で、彼が国防大臣に就任してから人気は絶頂になった。彼は当時のフランスの民族主義的感情のシンボルとなって国民的人気を一身に集めた。彼はそれにぴったりの美貌と個人的経歴を持っていたのだ。
彼はフランスのアイドルとなった。彼の個人崇拝者は激増し、それを煽ったのは明らかに新聞と政治団体、政党が発行するビラやポスターの類だった。将軍の経歴を記したビラが飛ぶように売れ、将軍に関連したファングッズや歌が人気を博した。
ブーランジェ将軍は突如として自殺したのでこのブームも突如として終わったが、実に興味深い事件である。明らかに現代のアイドル熱や政治的指導者にもあてはまることではないだろうか。
この現象は強力な、或いは強力に見える指導者の存在を追い求め、進んで服従し、夢を託し、それと一体化しようとする大衆の性質を強烈に印象付けたのである。
その後1890年代にはドレイフェス事件が起こる。これは国防省で働くドレイフェス大尉が、敵国プロシアに機密文書を売ったとかで、彼を有罪か無罪かという観点で国論が2分されたという事件である。しかし、実際はこの事件は捏造であった。が、大尉がユダヤ人であったために、排外的な民族主義的レトリックで、有罪派が減ることはなかった。無罪派は論理的に大尉の無実を証明しようとしたが、有罪派が理屈抜きで、「祖国を裏切ったユダヤ人」という構図で感情的に大衆に訴えかけるような論陣を張ったためである。民族主義、排外主義のプロパガンダにかかり、有罪を大合唱した大衆の姿は今日なお、我々に問題を提起するものがある。明らかに大衆を動かすのは事実ではない。ナチの宣伝部長ゲッベルスは「嘘も100回繰り返せば本当になる」と言ったが、大衆の内に潜む、欲求不満や憎しみという感情に訴えかけ、その手段として排外主義や人種偏見のレトリックを用いることこそ、大衆を動かす有効な方法であった。政治指導者たち、知識人たちはドレイフェス事件からそのことを学んだ。