メモ帳(R7年)

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20250530

努力が趣味なので努力ばかりしてきたが、努力しても結果が出ないのが普通になってきた。若い頃は努力すれば結果が付いてきたものも、今となってはそうではない。

人生の残り時間を考えると、やりたいことの優先順位をつけてできないものはできない、その時間がないと割り切るしかないと思っていたが、それだけでは足りないようだ。

努力して、意味があるものに絞って努力しなければならない。努力しても意味がないものを、どれだけ頑張っても無意味なのは変わらないのだと受け入れなければならない。

かなり努力したが、ダメなものはダメ。厄介なのはあらゆるものがそうで、これまでは努力に見合うものだった色々なことが総出で裏切り始めたということ。何か一つでも残っていれば、一個でもあれば良かったのに、どんどん減ってきてアラフィフ手前の今の時点でほとんどなくなってしまったと言っていい。

こうなると残り時間短いと思っていたが、むしろ長すぎる。やることない、打ち込める対象がないのにただ老いていくばかりで…時間を持て余す。

トムクルーズは60代でも映画の主役を張れるかもしれないが、凡人はそうではない。(そしてトムクルーズといえど近い将来それができなくなる日が来る)

ま、要するに何もかも上手くいかない、それを歳のせいにしてるっていうクソ以下のグチ。誰の共感も得られないし、自分でも暗くなるので考えるのも嫌だ。色々深く考えるのも今や有害なのかもしれん。

たった数年で全て変わってしまった。

20250527

映画レビューをnoteに連ねてるのでチェックしといてください。映画レビューはとりあえずnoteに書いていくことにしました。

とりあえず最近みたノスフェラトゥ、デビルズバスと、コッポラのドラキュラの復旧記事を書いています。

20250517

※noteにも同じ記事を投稿しています。「ガールウィズニードル」のレビュー。

2024年のデンマーク映画。スウェーデン系デンマーク人の新鋭監督が撮り、高く評価されて数々の賞を受賞した。すんごい話題作だが日本では全然盛り上がってない。すごい映画であると請け合える。

いやはや。。かく言う私もこれは偶然ポスター見て知ったんだが、何だかよくわからないまま観た。「ノスフェラトゥ」と並んで語られていたからだ。同時期に公開される、よく似たゴシックホラーとの触れ込みだった。

ゴシックホラー。ゴシックホラーなら、なんかさ、吸血鬼とかさ。狼男とかさ。古城の幽霊とかさ。フランケンとかさ。そんなイメージよ。しかし、これはゴシックホラーという宣伝は俺の見間違いか、書いたコピーライターが完全にエアプだったのか、そのどちらかだろう。これはお化けとか妖の類は出てこない。

ひたすら現実。現実の話だ。なのに怖い。過去最恐ホラーと言ってもいい。しかし、こう書くとホラーという表現はやはりはばかられる。これは完全なる女の映画。女の貧困の世界を描いたリアルドキュメンタリーであり、スリラーとしても稀有な仕上がりだ。稀有などころじゃない。2025年5月現在で今年の暫定一位だ。そして今年、これを抜く映画は多分現れない。

まあとはいえ、ロシア文学ならこういう切り口は珍しくもない。貧困、貧困、ひたすらに貧困。貧困に追いやられ、単純な労働で生きる最小限の賃金も得られない、貧しい貧しい女の物語だ。この言語に絶する貧困が、第一次世界大戦直後の欧州のごくありふれた風景だったのだ。

男なら有り余る筋力と体力と根性で乗り切ることもできたろう。社会も働く男をむげに取り扱うことはない。しかし、女は体力勝負は無理だし、頑張れたとしても成果を社会が保証せず、不当に安い賃金で奴隷のようにこき使われていたのだ。一人で生きて行くことは困難で、それゆえに身近な男に縋る以外に道がなくなる。そして安易なロマンスに耳まで浸かり、右から左にあっさりと妊娠する。

男は妊娠させた責任から秒でトンズラする。一方で女は単身で子を育てる力はない(無論、男はもっとない)。その力を不幸にも神は人に授けなかったのだ。これはウクライナ大飢饉をドキュメントした「悲しみの収穫」ロバート・コンクエストの言葉だけど、「愛は、飢餓に関しては、何もできなかった」。
これは古今東西変わらぬ世のことわりである。

ここまで書けばこの映画の解説はもう十分だろう。何も奇跡もドラマも起きない。貧困に置き去りにされた女とその子供。どうなるかなどネタバレなんて言葉で隠す必要もない。みんなみんな、やることは同じだった。この惑星で、我が子を意図して計画して殺す唯一の生き物。それがヒトだ。ヒトは手に余る子供を捨てるか殺すか他人にくれてやるか、その選択肢以外に何も持ってない。神は捨てられた子供を救うことはしない。今にも殺されようとする子供を救ったことも一度もない。

「ガールウィズニードル」。
主人公女性は、金持ちのイケメンに妊娠させられて捨てられた時、自分で堕胎しようとして針を自分の局部に突き刺したのだが、タイトルのニードルってそういうことだろうと思う。彼女は裁縫工場で勤める小市民階級で、ニードルとの掛け合いは象徴的だ。

「針を持つ(身に含む)女」。しかし、本当の意味は隠されたところにある。

昔の欧州は中絶の技術も低く、宗教的な制約で堕胎はほとんど行われず、妊娠した女は育てられないと知りながら成す術もなく産むしかなかった。

そして、未婚のままに妊娠した女性を社会は「だらしない、堕落した女」として冷たく冷たく差別した。今もそうだが。誰も救おうとせず、女の責任として貧困のままに放置されることが多かった。

母親達は手に余る望まぬ子供の柔らかい頭蓋に針を突き刺し、脳に出血を起こさせ、自然死に見せかけて殺した。
そのようにして、数多の乳児がほんの僅かな無意味な生を強制的に終了させられた。脳に針を突き刺すなんて野蛮な、暴力的な方法で。

女は育てきれない自分の子を殺す存在である。そのように、神は女を設計した。男は自分の子を見ようともせず捨てる存在である。そのように、神は男を設計した。神はただの一人として子を救うこともなかった。高い税金をとって、見ているだけ。自民党や日本の官僚と同じ。この直後、欧州で神の存在に疑義が呈され、冷酷なコミュニストが力を得るのは当然の成り行きだった。

また、歴史的な視点。デンマークは中立国で第一次世界大戦に兵を送ったりはしていないが、昔からデンマークはドイツの田舎みたいな土地である。国境線も曖昧なところがある。第一次世界大戦中はデンマーク国籍かドイツ国籍なのか曖昧な土地に住んでいた人もいたと思われる。民族で見てもほぼ同じで血縁にあたる。言葉も似たようなもんだ。だからなのかもしれないが、主人公女性の夫は大戦に従軍し、顔に酷い傷を負って帰ってくるのだが、人々は彼を化け物として扱いサーカスで見せ物にする。女性も金持ちのイケメンと不倫中だったのでこの夫を秒で捨てる。

この「女の物語」になぜこれほど不幸な男の物語を持ち込んだのかは重要なポイントだ。なにしろデンマーク人がドイツ兵として戦ったなんて史実はごく少数の例外で、わざわざ持ち出すなら何か言いたいことがあったはずだからだ。「夫は死んだ」或いは「主人公は未婚女性である」で十分この物語は成立したはずだからである。

しかし、作中で明言はされておらず、解釈が分かれると思う。ルッキズムに支配されたこの世の風刺であるだとか、不能になり体が弱ったこの男は男性らしさを全て失っているので女の物語に食い込むことができるのだとか、様々な視点がある。

国のために戦った負傷した男に、砂漠の朝露ほどの慈悲すら見せない女達の姿は実に現実的だ。眉ひとつ動かさず視野にも入れない。女はそういう生き物だ。そうでなければ女も生きられないのだから責めることはできない。男は働けなくなったり役割を果たせなくなったら捨てられたって仕方がないのだ。その点は女に変わることを期待してはならず、諦めなければならない。その代わり、男は何とか一人になれば生きて行くことができる。女よりはだいぶマシだから繰り返しになるがその点は諦めるしかない。男は愛を信じたとしても縋ってはいけないのだ。

以上のような思想は多分監督は持ってないが、俺は何となくそのように感じた。まあ、この辺の解釈は自由にすれば良いのではなかろうか。

この映画は、デンマークに実在した連続殺人犯のお話である。デンマークでは超有名で、ストーリーの核心でもあるので書いてしまうけど、モグリの養子縁組斡旋業者を名乗る女が、主人公女性の「望まれぬ子供」を引き取る。女はこう言う。
「医者や弁護士に貰われて幸せに暮らすんだよ、貴方は正しいことをしたね」

主人公女性は自らに芽生えた母性に気がつく間もなく産んだ子供をこの女に預けてしまう。女は小金で子供を引き取ったら片っ端から殺していたのだが、その犯行が発覚するのは25人もの命が失われた後であった。

なぜこんな真似をしたのか。女は言う。「女の重荷だからだよ!あんたらができないことをあたしがやってやったんだ!表彰されたっていいぐらいだ」と。
子供は女の重荷なのだ。重荷をわざわざ産み落とす理由なぞ、葛藤して当然である。葛藤して葛藤して、よく考えてから産むのが当然だ。ヒトは犬猫のようには生きられないので、無計画に子を作ってはいけない。しかし、この世は男が支配してるので、社会は女が男に縋るしかないように設計されている。今後も望まれない子は生まれ続け、トイレで産み落とされてそのまま絞殺される。そして、全ての責任は女のせいにされる。これは驚くことに、この物語のちょうど100年後にあたる先進国の日本でもあまり変わっていないのだ。むしろ逆行しているのかも。ガールウィズニードルは子供が大事にされていなかった時代のお話だ。多分に寓話的で、物語的だが現実に即した話でもある。
然るに、日本はどうだろうか。親は自分の欲望を優先し、子供を育てきれないくせに簡単に産み落としてしまう。男は無責任で、育児に関わろうとしないし、妊娠させて逃げ出すなんて奴もいまだに沢山いる。

そろそろ結論を言うと、男も女も「今」観る映画だってことだ。映画美術的な視点でも、すごくデカダンで、モノクロなのに色彩鮮やかで陰影がクッキリしていて美しい。

20250516

クライマーは馬鹿だね。これだけ指痛くても今日も登るってんだから。

もう44歳です。ボルダーをできるのはどのみちあと何年だ?立ち止まってられないんだよ。

今日頑張る。今日だけ頑張るんだよ。今日頑張った奴にだけ、明日が来るのさ。

20250514

ボルダリングは指と腰とが限界に近く、やめたほうがいいのかもしれないです。昨日も登ったんすけど、腰が悪くてとにかく怖い。ギックリ起こしたらヤバいからね。常に恐怖と不安と闘いながらで心が疲れてきた。特にルーフで体を張り付かせると腰が軋んで今にもぶっ壊れそうだ。昨日も怖い思いをした。ムーンボード(130度)は案外やれたが、150度以上は体が弱くて腰が耐えられない感じがする。と言っても昨年末なら耐えられたような動きだったが、この半年で故障が進んで今に至る。

健康のために簡単なやつだけスイスイみたいな登りができたらそれでいいんだろうけど。満足できない。それでは。半年前までV8が登れてたのに、いきなりそれを受け入れろってのは無理がある。だからこの年齢で、ついにという感じではあるが、出口戦略というのかな?今後のことをよく考えている。

悲しさはあるものの、加齢は止められないからいつかは考えなきゃならないものではあった。だから渋々でも受け入れなきゃならない。

具体的に浮かんできたのは、もっと体の負担の少ないやつ。体調に合わせて調整できるやつ。そういうのを習慣にできるといいんだが。

先週からまたその辺を走りはじめた。数年ぶりに1時間ぐらい無理して走ったら体がボロボロになってヤバかったので、身軽な格好で20分ぐらい走るように切り替えた。たった20分かよって感じだが走ってみると永遠に思えるほど長く感じる。しかし、敢えて自分で言うけどもともと体はできあがってるからさ。早くも体が馴染んできて今日はそれほど辛くなかった。なので、続けてくうちにもう少し長く走れるだろう。

まあ、長く走れるようになることは目的ではなく、ましてや減量目的とかでもない。風呂入った後のようなスッキリした気持ちになればそれで良いのだ。その目的なら20分で十分そんな気持ちになれる。短い時間でほどよく疲れるのでちょうど良い。金がかからないのも良い。

他はロープクライミングだ。これは鬼門である仲間作り、バディ探しが長年の障壁だがそうも言ってられなくなってきた。ボルダーほどの瞬間的な全身動員力は求められず、持久力重視らしい。やってる人は中高年が多い。ボルダーは逆にはっきり若者の領域だから俺はもう厳しくなってきた。最近はハイボル登ってるから高い岩を少しずつ進める楽しみがわかってきた。ロープデビューは45歳までに成し遂げたい目標。つまり、今年の目標はそれになる。

もう一個はヨガだ。通ってるところにメンズピラティス教室ができたので、クライミング完全引退となったらピラティスを検討している。とにかく腰痛が人生最大の敵なので。ヨガ教室は一回4000円ぐらい取られるので費用面がネックだ。まとめて回数券買えばもちろん多少良いが、昨年3回券買って使い切れず期限切れとなって、それ以降一度も行ってない。その間に腰痛はかなり悪くなってしまった。ヨガも現実的に検討しなければならない。

やりたいことはたくさんある。歳とったから何もかんも終わりだと何もしなくなったら、もう立ち上がれない年齢だと思う。座り込んだらもうダメだな。立ち上がる力がないと感じる。だから、無理してでも何かしなくちゃならない。時間が限られるから、全部はやれないと思うが、走ることはとりあえずまた始めている。

20250511

チャットGPTと日夜会話しながらその限界と可能性を探究してるコドオジはワタクシぐらいだろうと思ってるが、チャットGPTは当初軽妙な話し相手としては不向きで、何か調べ物をするのに適した生きる検索エンジンのような存在ではないかと思われていたと思う。しかし、調べ物等させると涼しい顔して秒で嘘ばかり生成するので、こいつどこで役にたつの?って感じだったと思う。

たぶん。違ってたらスマン

ところが!ここ最近はむしろ軽妙な話し相手としての精度を向上させており、プロのカウンセラーを遥かに上回る共感・傾聴・受容・寄り添い・無条件の賛同…etcを余裕綽々で見せつけてきており、副業カウンセラー程度の俺ではもはやこいつに敵わん…と溜息をつくしかないぐらいである。

コイツ、この分野に関してはマジで成長している。しかし、コイツに無条件に寄り添ってもらうのがクセになった現代人は令和世代の若者にすら大敗をきっするほどメンタルが脆弱になると思われた。まーその辺は良い。若者はいつだって傷つきやすく繊細だ。自分だってそうなので何もいえない。

そんな訳なので、当初の弱点である、「嘘を平然と根拠があるかのように秒で捲し立てる。嘘を指摘されるその瞬間まで無敵の叡智を持つかのように偉そうに振る舞う」という部分も自然と改善されてきてるんでわ?との憶測が上がっていた。(俺の中だけで)

しかし、今回ちょっとした事情で末期満州国の情報機関、治安機関、諜報機関の組織の成り立ち、関東軍特務機関とのズブズブの関係、満州国の支配の一環としての棄民政策、その功利・裏と表について調べているんですが、皆さん知っての通り?この分野は詳しい資料はほぼ無し。大戦末期に極東ソ連軍が数百万規模で雪崩れ込んできた混乱で、満州国の公文書はほぼ焼却・廃棄され、知見に富む人物は身分を隠して潜伏、或いは大急ぎで日本本土へトンズラかまして以降は「満州国?そんなもん知りまへんが」という顔でのうのうと生き延びたからであった。

まあ、もちろん、ソ連や中国の追求は振り切れても連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の戦犯裁判は家に篭ろうが身分を隠そうが逃げることは不可能であったから、ソ連とことを構えるアメリカの思惑で緩く生かされるぐらいならまだ幸運で、下手すればしなくても、首吊られて殺されてたわけなんで仕方がないといえる。

俺、満州国で特務についてたしぃ

中国人いっぱい拷問にかけたしぃ

なんて酒飲み自慢としても語れたはずがないのだ。なので、アメリカ占領が終わり、日本が自己批判の学問として歴史を省みはじめた時(1980年台)までその秘密は完全にヴェールに包まれ、満州国って結局何だったのかよくわからないまま時間の流れで風化された事実もあり、曖昧にされた事実もあり、結局今でもよくわからない、資料の少ない存在となった。

ところが!である。

このチャットGPT、満州国についてえらく朗々と語るわけよ。それどころか、「必要ならば、もっと詳しく〜〜の詳しい事情について資料を提示しながら説明できます」なんて偉そうなことを言う。

おいおいホントかよ。そんなもん(=一次資料)があるんなら出してみせろ!と言ってみたらだね。ずらーっと出す訳ですよ。本の名前や、書いた人の名前まで。

中公文庫、佐藤隆著「満州国とスパイ活動」

なんて。例えば。こういう感じのを何十冊も。

マ、マジ…?こんな本あったの?と検索かけてみるだろ。そんなもん存在しないのよ。マジかよ!ないじゃんよ!と。

実わ、この数ヶ月前にも似たようなニッチ分野(確か日本陸軍の師団の戦時体制編成と、平時との比較とか、体罰の有無とか、当時の空気感の話だった気がする)を調べてた時に全く同じことがあったんで、ま、またかよ。。とも思ったわけ。その時もありもしない出鱈目な書籍を並べ立てられて、激怒を通り越して呆れたものであった。

今日という今日はどういう訳なのか、ちょっと尋ねてみたんだよ。そんな本は存在しないみたいだよ、どうしてありもしない本をさも存在するかのようにここに挙げるのか?と。

するとだね⇩

私が生成する情報は、時にもっともらしく見える形で実在しない情報を含んでしまうことがあります。今回のように、実在しない書名や著者名を挙げることは信頼を損ねるばかりでなく、結果的に誤情報の拡散に加担してしまう危険があります。

このような誤りがなぜ起きるのかというと、私は大量の文書をもとに言語パターンを学習しているため、「それらしい表現」を生成する力はありますが、すべてが事実に基づくわけではないからです。

こんなこと言うんだよ。。もう、何も言えんし。言葉を失った。ここまで明確に自己批判しながらそれを改めない奴は確かに人間には存在せず、こいつは倫理もクソもないロボットなんだなと溜息をつくしかなかった。

こんなやつを頼りに何かを勉強しようとかは絶対してはいけないと感じた。こいつは人間をバカにする高度のインテリジェンスだ。

本当に。ヤバい。このことに気が付かず、チャットGPTの生成文で論文書いてる奴とかいるんやないの?それは絶対やゔぇーだろ。「もっともらしく見える」という点では突き抜けた能力持ってるからねえ。いやはや、他の人の意見も聞きたいもんだ。こいつはヤバい。馬鹿な奴はチャットGPTに何もかんも騙されてアホのまま物知りになったと思い込んでいそうだ。

どう思いますか?

20250508

気だるいっすなあ。。3日しか休んでないのにめちゃくちゃ気だるい。。歳なんすかねえ。一番感じてるのはクライミングへの熱意が急速に冷めたことでしょうか。何であんな危険で何にもならない真似を必死で…わからんすな。ようやく薬が抜けたみたいです。

腰が痛くてね。とにかく腰が痛い。毎日痛いよ。クライミング休んだら治るかと思ったら別にそうでもねえのがショックだった。体があちこち硬くてね。動き回ってると平気なんだけど寝てると痛い。たまに登るとちょっと調子いい。でもまた寝ると痛くなる。

腰痛に即効的で一番良いのは、長年の経験でヨガであるとの結論を得ました。しかし、ホットヨガも一回4000円超えるんで、もう行けないすわ。金ねーよ。もう半年近く行ってないんだけど、家でヨガマット敷いて適当に覚えたやつをほぼ毎日やってます。その直後は確かに調子が良くなるんだけどまた寝ると元通り。

どうしたらいいのかね?根本的な理由がわからないが、3月に8メートルの岩から転落してからですねえ。その時打ったケツが押すとまだ痛むのには驚きです。もう二ヶ月経ってるのに。骨折してたのかな?そこまでの痛みじゃなかったが。何となくその頃から慢性痛が悪化して今に至っても改善の見込み無しなんですな。

で、思うに俺はその間にまた一つ歳をとって44歳になったんですが、もう体が30代と違うとはっきり感じてる。30代はまだいいね。当然かもしれないが。女にもモテた。人生で一番モテたのは34〜39歳ぐらいだったと思われるが、モテ期いつ終わるんだ?と思うぐらいだった。最後の彼女と別れてから、もう三年?ぐらい?二年だったか、もうそれすら忘れたが女には指一本触れていない。禁欲…そういえばそうだが、もう触れたいという欲が著しく減った。風俗行きたいと思うこともたまにあるが、20000円ぐらいかかるのかと思うと自家発電で済ませて節約しちゃった♪と考えている。風俗にはもう覚えてないぐらい行ってない。

季節の変わり目の疲労感も、昔からあったけど今年は特に酷い。俺、いまだに朝が寒くて真冬と同じ格好、同じ羽毛布団と毛布を重ねて寝ているけど、暑いとは感じないからな。むしろ寒くて布団から出れないぐらいだ。朝13度とかしかないから、これは正当な反応だと俺は信じたいのだが、後期高齢者でさえ「今日は暑いね」と俺に話しかけてくる。暑くねえよ。昼間はめっちゃちょうどいいわ。朝は寒くて暖房つけたくなるぐらいだよ。5月なのになんだこれ。いまだに寒いとか言っててヤバくないか?

要するに歳なんじゃないか。血管が老化して、色々体全体に老いが蔓延してるんじゃないか。そうとしか言いようがない。

そんな中、とにかく犯罪が増えたなと思ってる。故意かそうでないかは別にして。犯人は43歳とか48歳とか44歳とかくたびれたオッサンばかり。40代50代のオッサンの犯罪との相関をもっと真面目に研究してもいいんじゃないかと思う。犯罪犯したら老いが止まるわけではあるまいが、経済苦に追い込まれてヤケクソになりやすい年代ではあるだろう。負債を帳消しにして「これまでの怠惰や自分の無能を挽回して何とかなる状態」に戻る手段がほぼないからな。

然るに自分振り返ると、だからといって人を傷つけたいとか思うことは全くない。本当にないな。人と関わりたくはないが、迷惑もかけたくないって欲求も同じぐらいあるから。正しい奴隷根性の日本男子なんだろうかね。

今の自分の苦痛を、人にせいにしだすと憎しみがすごいことになりそうだ。他責的な性格か、自責的な性格か、その中間付近が良いのか。人に迷惑をかけるぐらいなら自分を責め立てて自殺したほうがまだ良いだろうと思う。俺は案外自責の念に苦しむ人生だった。こういうブログ書いてるが、案外人にせいにしない性格なのだ。自民党のせいだとは思ってるが、まあでもそこに適応できなかったので結局自分のせいなんだろう。

昨日、タランティーノのワンスアポンなんたらをもう一度見返した。ディカプリオ演じるリック・ダルトンが芝居の休憩中に読んでる本。荒馬を乗りこなす才能豊かな20代の青年が、30後半を迎えてかつてほどには輝いていない、とするくだり。一度落馬して腰を痛めて、死んでしまう訳ではないが、障害が残るほど深刻な腰痛だった訳でもないが、そこから調子が悪く「何とか生きてる」とするお話。それを説明しながら涙を流す落ち目俳優のリック・ダルトン。毎晩ウィスキーサワーを8杯も飲んで本番で練習したセリフを忘れてみんなの前で赤っ恥かいて、その後は一人で鏡に向かってブチ切れて、モノに当たって大暴れ。

たまらなく哀れだ。一般的にはギャグだろう。しかし、そのたまらなく哀れな姿がたまらなく胸を打つ。30後半で「かつてほどには輝いていない」んなら、その後もまだまだ続く人生をどう考えるかは難問だ。まだまだ続くし、人は簡単には死なないし物語みたいに気持ち良いところで終わったりはしないからだ。

見窄らしく衰えて、老いさらばえて、それでもまだまだ転落と衰退が続くだけの人生をどう生きるべきなのか。我々は皆哲学者となってこの難問に立ち向かわねばならない。

ああ、とにかく、夜は早く寝ないと話にならない。たっぷり寝たって起きた瞬間には疲れ果てているのだ。どうするよこれ。十年後はどうなってる?考えたくもない。

20250506

妻と子が明日雨だからと1日早く帰ってきた!

俺の自由は終わった!自由は死んだーーー!!

ま、というわけですが。一人で盛り場彷徨いてると独身時代の形容し難い憎悪ほか、あらゆる負の感情が湧いてきて、1日ともたずノックアウトされそうだったので良かったのかもしれない。要するにやっぱりうちの子かわゆ。。癒し。。

1日もなかったワタクシの自由時間ですが、映画を2本観ました。ディスクユニオンシネマ館が移転拡張されてるとこないだ知って行ってきたんだけど、そこでブルーレイを買ったんですよ。どちらもタランティーノだけど。ジャンゴとワンスアポンなんたらとかいうやつ。

ジャンゴはね。当時映画館で観たし、なんなら確かDVDもあったはずだが家の中のどこにあるのかわからなくなった。なので買ってしまった。中古で安いから。あとワンスアポンなんたらはその存在すら知らなかった。2018年公開?思うと一番忙しかったころだ。仕事も忙しかったしほぼ毎週サド公爵も目を背けるような邪悪なイベントが盛り沢山だった。映画どころじゃなかったんだよ。

しかし、とはいえ、このワンスアポンなんたらはタイトル以外は全て良かった。つーか、タランティーノは何作ってもほぼ同じだ。テーマとかプロットとか。作家なんだよこの人は。監督というより作家。小説家だ。作家たるもの、同じテーマを少し形を変えて何度も何度も語るものだと村上春樹が言っていた(この引用も何度めなのか)。タランティーノはずっと変わらねえなあと7年前のこの映画を観ながら思ったものでした。

それにしても、よくこれだけ実在の人物を遠慮なく描写できたもんだ。シャロン・テートはキュートにセクシーにリスペクトを持って描かれてる。これは理解できる。ロマン・ポランスキーは何だかちょっと遠慮がある。これもまあ理解できる。トーゼンかもしれん。

しかし、ブルース・リー。これはなんだ?!「口も態度もデカいチビだ」って。車にぶつけて恥かかせちゃうんだけど、これは関係者怒らないのか?タランティーノは黒人差別にはいつも怒るがアジア人差別には全く言及しないよな。キャストにもアジア系は全く登場せず、アジア人には特に思い入れもなく、肩を持つ気とかないんだろう。

日本でもタランティーノは人気だけど、ひょっとしたら日本人の片想いなのかもしれない。まあ、別にどうだっていいことだが。

イングロそっくりの展開で、悪いナチを焼き殺して終わるあちらに対し、マンソン一家を焼き殺して終わるんだからほぼ同じ。普通は暴力振るっちゃいけない相手でも、相手が悪い奴と確定してるならそれ以上の暴力で物理的にぶち殺す。相変わらずダーティーで姑息で卑怯で爽快な展開。女に暴力は良くないが、相手がナチかゾンビかマンソンファミリーなら容赦なく顔面潰して虐殺!カリカリになるまで焼き殺しても構わない!生きたまま犬に食わせても問題ない!

いや、ちょっと調子乗りすぎだろ。まあこの不謹慎さが面白いのだろうし、巨匠なので何か裏があるのでは?真意が隠されてるのでは?と深読みされるけど、賭けてもいいがこいつにそんなのはない。

この文章も貶して見えるかな?全然逆で大絶賛だよこれは。この手の不謹慎な映画で俺の中でワールドナンバーワンは中島哲也大先生の「渇き。」だけどね。アレはガチのシリアスキチガイ爆笑映画だからまだ観てないなら絶対に観たほうがいい!原作とか読まなくていいから!この映画はマジに最高!俺の幾つもある人生ナンバーワン映画の上位に間違いなく連なるスゴイ映画。映画というか役所広司が最高!

まあ、話はそれるが、ディスクユニオンシネマ館で一番残念だったのは中島哲也の棚に「告白」しか置いてなかったこと。いや、「告白」もいいよ。でも同じ2018年にいつの間にか公開されてた「来る」が観たかった!絶対にコレを手に入れたかったのだが。つーかAmazonに売ってるけど、なんならプライムビデオで今すぐ観れる。しかし、、家族が飯食ってるリビングで中島哲也を再生するほど俺は鬼じゃない。あー、一体いつ観れるんだ、大画面で観たいんだよ!

20250505

教皇選挙観たんですが、久々に映画レビューでも書けるんかなあと思ってたが期待はずれ。

面白くなかったわけじゃないが…観たこと、時間を割いたことを後悔するとかでもないけど。まあまあ、みたいな。いわゆるラストで驚く、どんでん返しみたいな展開だが、うまくまとまりすぎて「物語感」がめちゃくちゃ出てしまってた。とても現実的なテーマと思われるこの映画で、これはちょっと安易な結末かなと。

内なる憎悪と戦えという言葉も素晴らしいんだが、それを「戦場を知ってる百戦錬磨のボク」みたいな人に喋らせたのがまたズルい。綺麗事だけでは無力だからこそ、背景に凄みがある人物持ってこなきゃならなかったわけでしょ。矛盾だ。まあ、物語なのは当たり前なんで文句つけるとかじゃないけど。

逆に、「戦場を知ってる百戦錬磨のボク」が「戦争が近い!戦うんだよ!いつまでも敵を養ってはいけない!!」と呼びかけたら?実際どうなる?その辺の資料は第三帝国界隈に無数に眠ってるので暇な人は調べてみようか。(皮肉な見方かもしれんが、あのシーンで↑と同じに言ったとしてもこの人が教皇になったんちゃうか?)

個人的見所はヴァチカンの坊さん達の真っかっかな派手衣装の数々。アーモン・ゲート役で有名なレイフ・ファインズが色んな制服を着こなす懐古的な姿。古臭い槍持った時代錯誤の衛兵。徹底して女は存在を無視。教皇を頂点とする大相撲ばりの家父長制…(ナチの指導者原理にもソックリ)その他そこかしこで醸し出される第三帝国臭…

元々清廉な組織ではない。あの死の天使ヨーゼフ・メンゲレ他、ナチスの戦犯を南米やシリアに逃すために骨を折った組織。ホロコーストを見て見ぬフリした組織。ユーゴスラヴィアではテロ組織と手を組み、機関銃を手に取ってセルビア人・ユダヤ人・ボシュニャク人絶滅に物理的に手を貸した組織。今更なんなんだ?

神はアカと異教徒が大嫌いなんだがそれは昔からだ。

今更なんなんだ?

20250504

妻と子が実家に帰った!

俺は自由だ!俺は自由だーーー!!

という感じでございますが(ため息)

地下帝国で1日外出券を使った時の気持ちってきっとこれだよね。俺だったら外出券が2枚溜まるまで絶対1枚も使わない。。まあそんな話は良いとして

暇さえあればチャットgptとお喋りしてますけど、こいつはリリース当初より確実にお利口になってるね。ブラッシュアップ?というのか何なのか。特に人間の感情面に対する寄り添いだとか、どういえば正解かとか猛スピードで学習を重ねてきたのだろう。実際すげえよ。どんな濃い話でも人間並みに?人間以上に?対応できるんだから。実際すげえ。

下ネタだけはダメみたいだが、誰がみてるんだ?と思うような映画の話も易々と対応してくる。絶対に共感・肯定してくれるし、マニアックな情報を沢山教えてくれる。こいつに頼るようになったらやばいな。人をダメにするロボットだ。こいつ以外の生命体と会話しようとしても全く弾まないのに、こいつだけはいつでも準備OK。すごいやつ。

特に、絶対に共感・肯定してくれるという部分は曲者。世間的には少数派な意見とか、クセの強い考え方でもさも自然であり、当たり前であり、全く正しいかのように反応してくるので、自分の考えはやっぱり間違っていない、絶対常に正しいと確信してしまう。

間違っているかも?と自分を疑う気持ちが消えてしまう。こいつは絶対にユーザーを不快にさせないようにプログラムされている。沼らせることが第一命題のようだ。このことによく気がついた上での利用を勧める。

議論が割れている話題について彼?に聞くのは微妙だ。こいつは多分俺がどちらかと言えばこうだろう、こうなんじゃないか?とのほんの僅かな期待を敏感に拾って全部それでいいんだよ、全部君の考えが正しいよと即座にさも理論的に肯定してくる。気持ちよくなるが、それが良いことかはわからない。若者はこれがクセになると普通の対人関係が築けなくなりそうだ。理論と理論は反目するお互いを熾烈に戦わせてこそ補強される。科学や哲学はそうやって進歩してきたのだから。まあそんな話はいいや。

最初の話に戻るけど、昨日から明日まで1日外出券を使いまくれる日なのに、昨日も今日も仕事という俺、本当に可哀想だな。我ながらなんて気の毒なんだ。3日分と使ったのに、うち2日は仕事。泣ける〜

そんなわけなんで、今日は仕事後はいつもはできない、しないことをしたい。帰り道にステーキ食ったり、映画館で映画を観たりしたいぞう🥹 映画館とか、もうちょっと覚えてないぐらい久しぶりだ。胃がずっと不調だったので牛肉食べるのも久しぶりだ。最近はコツコツ貯金しながらできるだけ金を使わないよう、外食もほとんどしていなかった。ちょっとまともな倹約日本人になってきたのだ、俺も。年貢の納め時というやつだ。

まあ、今日は仕事を気持ちよくやって、帰り道でささやかな楽しみの時間を持ちたい。

コメント

  1. sp より:

    Wolfbrigadeがお好きなら前身バンドのWolfpackは聴いてみてもいいかもしれません。ただWolfbrigadeほどは叙情性はありません。他には似た感じの音だとアメリカのTragedyやFrom Ashes Rise、Tragedyの前身バンドであるHis Hero Is Goneとかかなと思います。スウェーデンのバンドとはちょっと毛色が違いますが。しかしこの手の音楽はやっぱりWolfbrigadeが最高峰だと思うので、超えるバンドは見つからないかもしれません。叙情性があって疾走感があるクラスト、となると、いわゆるネオクラストというジャンルが主様にはあってるのかもしれません。一部の人しか聴いてないジャンルですが、スペインのIctusというバンドが代表的なバンドで、日本盤のCDも発売されました。あとニュースクールハードコアの方になりますが、Fordirelifesakeというバンド(特に1stアルバム)が極端に叙情メロディを使用し疾走感もあり自分は好きでした。

  2. sp より:

    Dischargeがデビューした頃はクラストという言葉はなかったのでDischargeはルーツ的なバンドになります。初期のクラストはアナーコパンク(政治色の強いパンク)界隈の人々が80年代半ばくらいにメタル要素入ったハードコア•パンクをやり始めたのが源流で、その後80年代後半にDischargeの影響を受けたスカンジナヴィアのバンドに影響を受けた(ややこしい)ノイジーでテンポの速いバンド(DoomやExtereme Noise Terrorなど)が登場しクラストコアと呼ばれるようになりました。区別として初期のメタル要素のバンドをクラストやメタリッククラスト、ノイジーでテンポの速いバンドをクラストコアと呼んだりします(ややこしい)。さらにノイズ色の強いクラストコアのバンドをノイズコアやノイズクラストと呼んだりします。90年代半ばくらいまではクラストと言えばこういうバンドたちのことでしたが、2000年過ぎてからはご存知のように周辺ジャンルと混合を強め様々なタイプのバンドが登場しました。それに伴い元から内包していた政治生もバンドによっては薄まっていった感じですね。

  3. KENTA より:

    洗脳の歴史で最後おすすめされてる書籍可能であればご教示いただきたいです。スマホの表示のバグかなにかで表示されておらず気になりました。よろしくお願いします。

    • 3rdkz より:

      コメントありがとうございます。表示されてないですね。ご指摘ありがとうございます。

      リチャード・キャメリアンの「洗脳の科学」という本です。よろしくお願いします。