2014年6月、イスラム国(IS)なるテロ組織が急遽、世界の表舞台に現れた。イラクの広大な土地を領土とし、攻勢を強め、付近を制圧し始めたのである。6月10日にイラクの第二の都市モースルを、その後の数日間でティクリートなど北部の主要都市を制圧し、バグダット近郊にまで迫った。
世界は衝撃を受けた。そして今でも手をこまねき、このテロ組織に対して決定的な一打を打てずにいる。戦闘は激しさを増し、常に不安定な情勢だ。難民が流れ出し、こぞって欧州に押し寄せた。ISの抵抗の激しさはこの地に平和がまだまだま訪れないことを物語る。
それどころか、ISは思想を輸出し始めた。アメリカでの銃乱射事件。オーストラリアの人質立てこもり事件。フィリピン、マレーシア、インドネシアでもイスラム過激派組織がISへの忠誠を表明。そして、ベルギーで企画され、フランスで引き起こされた同時多発テロ。今や思想は世界を覆っており、どこでテロが起こってもおかしくない。
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ここでは、イスラム過激思想はいかに生まれたか? わかりやすい言葉で説明する。
イスラム過激派の唱える「堕落した社会」とは?
もともとイスラム教は1400年前に存在した預言者ムハンマドが開いた教えである。それ以前のアラブはアラビア社会と呼ばれる専制社会であり、部族社会であった。これら部族長の偶像を崇拝し、物質的な富を重視する社会だった。預言者ムハンマドはこの社会を「堕落した社会」と断じ、「ジャーヒリーヤ」と表現して真っ向から否定した。
イスラム原理主義は革命思想
イスラム原理主義は、世界を「イスラムの家」「戦争の家」の2つにわけ、「イスラムの家」を防衛するための戦い(ジハード)は世界中のイスラム教徒の義務であるとする思想である。彼らにしてみれば「イスラムの家」とはシャリーア(イスラム法)に忠実な宗教国家を指す。
「戦争の家」とはそれ以外の国。アメリカ、日本、中国、ロシア、欧州はもちろん、エジプトやトルコなどある程度政教分離を成し遂げているイスラム教国も含まれている。これら「戦争の家」の攻勢から「イスラムの家」の身を守るために率先して「戦争の家」を滅ぼすべしとする思想である。
思想家、サイイド・クトゥブ
イスラム思想の間では、《ジャーヒリーヤ》は長らく滅亡したものと解釈されていた。しかし、第二次大戦後現れたサイイド・クトゥブという思想家が、ジャーヒリーヤはまさに現存していると訴えたのである。
クトゥブは1906年、エジプトに生まれ、厳格なイスラム教徒として育った。そして後に西洋型教育を受け、アメリカに留学した。そこでクトゥプはアメリカの倫理的、性的な崩壊に目を奪われ、激しく憎むようになった。エジプトに帰国し、過激原理主義組織「ムスリム同胞団」に加入、組織のイデオローグとして急速に台頭した。