【閲覧注意】犠牲者100万?!ナチ傀儡『クロアチア独立国』のセルビア・ユダヤ・ロマ人大量虐殺の全貌【バルカンのアウシュビッツ】

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また、周囲を川に囲まれて敵からの防衛に有利であることに加え、囚人の脱出が困難でありました。またこの地域の湿原の灌漑は19世紀から行われており、囚人を使役してこれを継続するという方針を内外に宣伝することができました。

収容所の周囲は川で囲まれており、湿地帯となっていて地面はぬかるんでいます。

しかし、実際は上記に示したごとく、ヤセノヴァツとその周辺の下部収容所は一大処刑場であり、ここで死んだ人は7~150万と推定、かなりムラがあります。現クロアチア共和政府はヤセノヴァツの死者を7万人程度と主張し、セルビアは100万人以上を主張。歴史的な決着はついていませんが、こういう場合、中間付近に真実があるものです。

ヤセノヴァツはとても広大な施設で、単独の収容所を表す言葉ではありません。
この地方一帯に様々な施設や下部収容所が存在しています。
子供収容所のシサク。
一大処刑地点であったドーニャ・グラディナ。
女子収容所のスタラ・グラディシュカ。
ジプシー収容所のUštica。
といった具合です。
一番大きな収容所は、『レンガ工場』と呼ばれた第三収容所です。
ここでは様々な敵性人種、思想犯が集められて惨たらしく殺されました。高度なテクノロジーは一切使われませんでした。

囚人の処刑道具は50通りにも及び、リボルバー、カービン銃、機関銃、爆弾、ナイフ、斧、まさかり、木槌、鉄の棒、ハンマー、つるはし、ベルトや革の鞭と多岐にわたり、殺害方法も、絞殺、火炙り、火葬、凍死、窒息、餓死など様々でした。

ヤセノヴァツミュージアムにて。当時使われていた処刑道具。

サイミシュテ絶滅収容所(KZ Sajmište)

(42年~)

サイミシュテで使用されたガス有蓋車と同系統のタイプ。写真はポーランドにて撮られたもの。この殺害方法はナチス親衛隊の手口である。