メモ帳(R5年)

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2023/3/29

ホアキン・フェニックスの「ジョーカー」を再度見なおした。前回は日本語吹き替えで観たが今回は原語で観た。新しい発見はあったものの、ストーリーはわかっているので今度は映画の芸術面に目が向いた。

60年代ロックがやたらかかっていて、特にクリームの「white room」が印象的に使用されている。この曲は極度の貧困、恋人との別れ、深い孤独が歌われている。妙に明るく、しかし悲しげに。

また、ジャクソン・C・クランプの「My Name Is Carnival」もジョーカーがピエロの仕事を首になったところでかかり、歌詞は意味不明だが悲しげで良い感じだ。ジャクソン・C・クランプは更年精神病に苦しみ若くして亡くなっいる。

ローリングストーンズの「Paint It, Black」も昔から大好きだが60年代の曲。この映画では使われてないが暴力的で血の香りがしてとても良い。

ブラックサバスも60年代に産まれた。ロックがどよよーんと暗くて重たいものになってゆく過渡期が60年代。当時の社会の閉塞や絶望が、現代においてもたまらなく胸を打つ。

2023/3/27

ファスティング(fasting)について

人間は何日食べなくても生きられるのか。

人間の1日の最適な食事の回数は何回か。

医師や管理栄養士の教条的な言いつけに疑いを持った場合、これは全くもって謎だ。

筆者の経験でいえば、まる1日(24時間)ファスティング(=絶食)をした程度では全くきつくもないし、空腹で苦しむこともなかった。体調不良に見舞われることも無ければ、免疫が落ちて風邪をひくということもなかった。全くいつも通りだが、強いていうなら脳が覚醒し眠気が吹っ飛び、疲れをあまり感じていないかのように感じた。体重は翌朝には1.2キロ減っていた。ただ、精神的には何故かとても落ち込んだ。悪いことばかりが頭をよぎった。その日の夜は眠くならず、翌朝は怠かった。

とはいえ、成人男性の場合、1日の断食程度では健康被害のひの字もないといった印象だ。大人はそんなに食べなくても健康に生きられるのである。

対して、日本の成人男性の肥満率は30%に迫る。欧州では60%。アメリカや欧州では60%を超える国々も多い。1日の食事回数が3回が適切ならこんな結果にはならない。

ただし、栄養と健康に関する話題に限っては、自称専門家が好き勝手言い放題のカオスであり、絶対真理というものは存在しないようだ。人によって体格やライフスタイルが異なるの同様に、栄養の必要量が違う。糖尿病や脂質異常症、循環器系の疾患、各種内臓疾患を持病として持つか否かによっても変わる。

時代によって美とする体型も違うし、健康的と感じる体型も違う。目指すべき目標も、個人の価値観に左右される。

答えは結局病気にならない程度に食べなさいということであろう。昔はあるものは何でも食べねば生き延びられなかったが、今は生き延びたいという本能や、うまいものを食べたいという欲望を抑えながらでなければ病気になってしまう。先進国に課せられた呪いである。最貧国はいまだに必要最小限の栄養さえ確保できず、産まれてきた途端死んでいく子供が、泥濘の泡のように浮かんでは消えている。

2023/3/22

旧帝国海軍の性格を考えた時、陸軍に比べれば理性的で平和主義者が多いイメージがあるが誤りである。

そのイメージは、米内光政や山本五十六といった対米穏健派の存在があげられるが、この両名にしても日中戦争に関してはイケイケであった。日中戦争を利用してふんだんな軍事予算を得て海軍を強化拡大して、米英艦隊と並ぶ、或いは凌駕する巨大な艦隊や航空戦力を整備し、七海を支配するといった壮大な野望があった。

つまり、対米穏健派と言っても、今戦っても勝てないからやめとこうやという程度であり、海軍を十分に巨大化できたらどんな思想に変わったかわからない。

そういう意味では日中戦争には海軍も当初からイケイケで、特務機関と共に謀略にも率先して参加し、いわゆる大山事件を起こすなどしている。

そして、日中全面戦争に至ってからは海軍にとって夢のような毎日が始まる。毎日が実戦を兼ねた訓練であり、またどれほどの弾薬を消費しようと機密の名の下にどこからもチェックが入らなかった。1940年の時点で陸軍は戦力の40%を喪失していたが、海軍は90%以上の戦力が健在であり、むしろ戦争前より戦力は強化されていた。

重慶爆撃が始まってからは中距離陸攻による戦術・戦略爆撃や港湾攻撃、直掩機による空中戦など、全てが米英の航空戦力と戦うための準備となり、良い訓練となった。四年にわたって実戦で訓練を重ねた海軍航空隊の練度はかつてないほど高いものとなり、経験を積んだパイロットたちは後の空母機動部隊に転属して真珠湾攻撃に参加した。

また、重慶爆撃を直掩するための中距離飛行戦闘機の開発製造が急がされた結果、零式艦上戦闘機が生まれたのは有名な話である。

中国空軍機はこの日本の新型戦闘機との戦闘を当初より避け続け回避飛行を続けていたが、ある日重慶爆撃を終えた陸攻が基地に戻ったあと、自軍の基地に舞い戻った中国空軍機30を零戦約13機が待ち伏せ攻撃した。その結果、40分に満たない戦闘で中国軍機27機が撃墜された。対して零戦はただの一機も落とされず全員が生還。

零戦の卓越した性能に自信を持った現場司令官や参謀本部の参謀たちが、対米戦争の初戦を制する自信をつけ、アメリカとの戦争へ大きく舵を切ったことは想像に難くない。

2023/3/21

「世界サブカルチャー史」というNHKのドキュメンタリーを観て、興味惹かれて今更ながら「ジョーカー」を観たが、先日読んだ「絶望死」と相通ずるものを感じた。

歴史家アーノルド・トインビーの言葉「文明は他者に殺されるのではなく、自殺する」が引用されている本書だが、アメリカ社会の深刻な分断と病理について、忌憚なく書かれている。

先日引用したばかりだが、「アメリカでは毎年、約6万8000人が薬物の過剰摂取で命を落とし8万8000人がアルコールの乱用で死亡し、4万7000人が自殺する」。薬物、アルコールの過剰摂取による死亡、自殺を「絶望死」と呼ぶ。

アメリカの金持ち3人の資産額が、下位50%全員の総資産額と並ぶという。貧乏人は薬物とアルコールに溺れ、無茶な自動車の運転やバイクによる暴走であっさりと死んでしまう。またアメリカの子供たちの8人に1人が物質使用障害(アル中やヤク中の医学的呼称)のある親と一緒に暮らしている。アメリカ人の7人に1人が貧困線を下回る生活を送っている。

現在のアメリカの不平等は19世紀の南北戦争直後よりも拡大していると明らかになっている。

資本主義は富を分配する方法を知らず、社会主義者は富を大きくする方法を知らない。資本主義を疑問視する声はとくに若いアメリカ人に共通している。現在は社会主義により共鳴する若者が増えている。これはアメリカに限らず先進国に共通に見られる現象だ。

現在のアメリカは労働者層の自己破壊的なふるまいを嘆く傾向にある。労働者階級の多数の生徒が高校を中退し、未婚のまま出産しており、これが貧困のパスポートとなっている。伝統的な3つのルール、高校を卒業し、フルタイムの仕事に就き、結婚してから子供を持つ、に従う人々のうち、貧困生活を送っているのはわずか2%だった。つまり、「成功の順序」と呼ばれるこのルールを実行すれば総じて貧困は避けられるーーーー

↑は日本社会でもある程度当てはまるかも。

逆に上の3つのルールを一つも守っていない人の79%は貧困の中で暮らしていることがわかっている。

末期ソビエトが似た状態にあったことも示唆されている。男たちは昼前にはウォッカに手を伸ばし、午後には霞の中にいた。工場は無断欠勤し、政府はそれを無視した。ロシアにおける国民の平均寿命の短縮は体制崩壊のサインだった。まさに今アメリカで似た減少が起こっている。ジョーカーはまさに負け、落ちぶれ、薬物に耽溺し、車を暴走させる労働者階級の象徴として造形され、彼が銃を持ち実力行使の末にエリートや金持ちを殺し、クズどもの英雄となって祭り上げられる、、、、そんな妄想をする負け犬の姿を情緒たっぷりに描いた、、なんともはや、敗者にとっては共感するしかない映画である。

2023/3/20

共産党が百団大戦を引き起こした意味について。

1940年夏の時点で、日中戦争は大幅に日本が有利、重慶政府は持ち堪えていたが時を同じくしてドイツ国防軍の大活躍、イタリアの参戦があり、蒋介石は日本との和平を画策。

共産党は蒋介石が和平に応じてしまうことを危惧。

蒋介石が日和見主義にとらわれないよう逃げ場を塞ぐ意味があったとのこと。

これ以来日本軍は正面での戦争と、後方での治安戦の二正面作戦を強いられ、占領地が増えても内部から八路軍が取り返していくため戦線は膠着。

既に関東軍の他に内地の部隊80万人以上を動員していたのだが人員不足で兵站もパンク。日本の勝利は殆ど望めない情勢となり、対米戦争が始まると中国国内の米空軍の拠点を攻撃するという意義を持つだけのものとなっていった。後期の日中戦争は八路軍との戦いと、米空軍の拠点潰しのための作戦に終始することになる。

2023/3/19

日本軍の治安戦についての研究。

日本軍の北支那方面軍が華北一帯を占領していた1940年夏、中国共産党軍が主体の八路軍が初めての大攻勢を行った。その戦闘に参加した共産軍兵士は約40万人で、これまでのような小規模なゲリラ攻撃とは一線を画した大規模なものだった。


共産軍は以前は紅軍と呼ばれ、軍事的に大した脅威とは見なされていなかったが、日本軍が占領地を広げるにつれて華北を中心に国民党の影響が排除されて権力の空白が生じ、漁夫の利を得た共産党がどんどん権力を拡大していた。第二次国共合作後は抗日統一戦線を結成し、表向きは国民革命軍第八路軍、国民革命軍新第四軍として国民革命軍の傘下となったが実態は共産党幹部による統率を受け、政府から独立した作戦行動を取り、独自に兵器生産や農作物の輸出、幹部・兵士の養成、教育、宣伝工作などを行ない力を蓄えていた。


南京陥落後、国民党ナンバー2の汪兆銘による傀儡政権が影響力を増す中起きた反攻作戦であった。日本側の死者は少なくとも250名。鉄道の多くが破壊され、インフラに壊滅的な被害を及ぼした。


百団大戦と呼ばれるこの反攻により、日本軍は共産党を軍事的脅威とみなして対策を強化。日本軍占領地帯に無数に設けられた抗日根拠地を「敵根據地ヲ燼滅掃蕩シ敵ヲシテ將來生存スル能ハサルニ至ラシム」との軍司令官による命令に基づき、村々を徹底的に破壊する無惨にして残虐な戦闘となった。この命令をもって日本側では「燼滅掃蕩作戦」或いは「燼滅作戦」と呼ばれることがある。加えて、中国側呼称として三光作戦と呼ばれる。全て同じものである。


「三光」は憐憫を排除した情け容赦ないものであった。日本軍の戦い方は住民の大量銃殺、組織的強姦、毒ガスや生物兵器による攻撃の常套化、無住地区を設定し、現地民を大量追放、或いは殺害するという過酷な方法であった。


中国側の被害総数は予測の範囲で数百万人に迫る統計もあるが、詳細は明らかでなく(日本側はこれを犯罪とはっきり認識していたため資料がない)共産党のプロパガンダにより誇張されたと思われる数字のみ残されている。


ちなみに、中国語で「光」とは何もかも消えてしまうという意味である。もともと蒋介石軍が共産党地区に対して行った「殺し尽くし焼き尽くし奪い尽くす」作戦をそう呼んでいた。そのため日本軍による三光と混同されることがある。


以降日本軍は蒋介石直轄の国民革命軍と、共産党が主力の八路軍を相手にした二正面作戦を強いられることとなった。八路軍は日本軍に対する憎悪を回路にどんどん拡大膨張して行き、最終的には勝利する。現代の共産党政権の原型である。

2023/3/18


ジャニー喜多川の児童性虐待問題に関して、日本では2017年までは強姦罪の被害者は女子のみと規定され、肛門性交、口淫性交も行為の対象外であった。


2004年にジャニーが被告人席の椅子に座った時も、そのために強姦罪は適用されなかった。


ジャニーは男色の小児性愛者であるのは日本では暗黙知だったが(今流行りのLGBTならゲイなのかな?)、何故か黙認されていた。今回BBC制作のドキュメンタリーでジャニー喜多川は性的捕食者と呼ばれ糾弾されている。


「自らがつくり上げた仕組みのもと、喜多川氏は他の大人の目が届かないところで、少年たちに接し、支配することができた」と。性加害の見返りとして、アイドルタレントとして売り出すことを暗に約束していたというのである。


このような人道にもとる行為によって売り出された美少年は女達を魅了し、紅白歌合戦をはじめとした公共番組にも多々出演し、日本においては絶大な存在感を得るに至ったが、それを知ってもなお日本人は特に気にせず、この問題には目を背け、少年達の心の傷には知らん顔である。


ちょうど北朝鮮の拉致問題がそうだったように思う。みんな知っていたけど、問題となって大きく報道され始めたのは北朝鮮がノドンを打ち上げた1993年以降のことである。


2023/3/17

アメリカでは毎年、約6万8000人が薬物の過剰摂取で命を落とし8万8000人がアルコールの乱用で死亡し、4万7000人が自殺する。

薬物、アルコールの過剰摂取による死亡、自殺を「絶望死」と呼ぶ。

参考:絶望死 労働者階級の命を奪う「病」(朝日新聞出版)


2023/3/16


インフルエンザが現れたのは人々が家畜と共に集団で生活するようになった紀元前5000年頃。


ギリシャの医師ヒポクラテスは紀元前5世紀にインフルエンザらしき病気について記述しているが、その後15〜16世紀までそれらしき資料は見つかっていない。


(「高熱と頭痛が3日ほど続いた後起きられるようになるが、ひどい咳が8日ほど続き、以降は少しずつ回復し、死ぬことはないという病気が現れた」)


1918年のスペイン風邪が流行するまで、インフルエンザは現代と同じ↑のヒポクラテスの記述そのままの病気で、特に恐るようなものではなかった。


スペイン風邪は5000万人を死亡させた。何故ここまで死者が広がったのかこれといった理由は見つかっておらず、今でも議論が戦わされている。(とにかく感染者の数が多かった。第一次欧州大戦の最中であったことは関係が大きいだろう)


コロナウィルスも同様で、何百年にも渡って人を死なせるような病気ではなかったが、2002年の中国でSARSが発生して以来、話が変わってしまった。SARSは致死率約10%で、世界中に瞬く間に広がった。収束もあっという間だったが、入れ替わる形でサウジアラビアを中心にMERSが流行。2012年のことだった。MERSの致死率は40%にも達した。SARSもMERSもコロナウィルスの新型であることが明らかとなっている。


そして2019年の暮れ、再び新型のコロナウィルスが流行。SARSとMERSの失敗を全て克服したような、完璧なウィルスだった。あとは知った流れである。いまだにマスクが外せぬ戦時体制だ。


なぜ長らく無害だったコロナウィルスが、突如として致死的な変異を遂げて複数回に渡って人類社会を大混乱に陥れるようになったのか、はっきりしたことはわかっていない。生物兵器説も根強い。過去の石井機関の所業を思えばあり得ないことではない。


参考:ビジュアル パンデミック・マップ 伝染病の起源・拡大・根絶の歴史


2023/3/15

引き続き「ヴァンゼー会議」を再現した映画「ヒトラーのための虐殺会議」について。


歴史を語ろうとする時、ある国一つだけを見ていてもわからない場合がある。例えばこの映画でも「ヴァンゼー会議」開催にあたって、直前に起きた日本軍の真珠湾攻撃が大きな影響を及ぼしたことが語られる。


日本が米英に宣戦布告し、なぜかドイツも一緒に宣戦布告したことは歴史のミステリーである。日本は独ソ戦がはじまっても中立を保ったのに不思議である。何故なんだろうか。ノーマン・オーラーの「ヒトラーとドラッグ」を読んだ時、この当時ヒトラーは既にコカインやオイゴダールなどの強烈な麻薬カクテルの中毒者となっており、正気を失っていたことが明らかになっているのだが、正気を失った末でのヤケクソの決断だったのか?と解釈していた。


しかしこの映画を観た後はある程度納得行く答えが見つかった。


つまるところ、真珠湾攻撃が起こった頃、ヒトラーは独ソ戦においてモスクワ攻略に失敗しつつあり、最後の攻勢が失敗に終わったまさにその頃に南雲機動部隊がハワイを攻撃した。日本はアメリカに宣戦布告。ドイツもそれに続く。


ヒトラーは夏の終わりには、モスクワにハーケンクロイツの旗を立てることはできまいとだいたいわかっていたと言われている。通常の意味での戦争には勝てないと。モスクワ攻略に失敗することもだいたいわかっていたはずだ。


となると、何故負けるとわかった戦争を執拗に続けたのか、これはユダヤ人を絶滅させることが別の意味での勝利であったから、というのが通説だ(私の考えではなく)。


我が闘争において語られるように、ヒトラーの思想は首尾一貫としており、ブレることもなく言ったことを全部実行していったという点では狂気じみた徹底性みたいなものを感じる。


ヒトラーはモスクワ攻略に失敗したことはスモンレンスクの占領に2ヶ月かかった時点でそうそうに悟っていた訳だが、彼にとっての戦争はユダヤ=ボリシェビズムの絶滅であり、ソ連を懲らしめて有利な条約を結ぶだとか、そんな俗なことではなかった。彼にとってユダヤ人の絶滅こそが勝利の絶対条件だったわけだ。軍事的に負けようとも、目につく限りのユダヤ人をみんな殺せれば戦争は勝ち、ということになる。ナチス親衛隊もそのつもりで行動していた。(この映画のゲシュタポミュラーの台詞の通りだ)


となると米英と戦争をはじめてしまったほうがむしろ好都合だ。人質として機能していたユダヤ人もこの際ならばみんな一緒くたに殺せるからである。米英とパイプを持つ、真の意味でのユダヤエリートを根絶やしにできるという訳だ。外交権を持ち、市民権を持ち、法によって守られた豊かなユダヤ人たちだ。彼らにはまだナチスも手を出せなかったのである。しかし、アメリカとの戦争が始まり、もはやどこにも配慮する必要がなくなったのだ。ヒトラーはユダヤ人をみんなぶち殺したら第三帝国など滅んでも良いと思っていた。そして、ナチ占領下でユダヤ人は殆ど最終解決の犠牲となり、第三帝国は滅び、そして彼自身も自殺を選んだ。ヒトラーの裏口の勝利は完全にとまでは言えないまでも、ある程度その通りになったといえる。

2023/3/14

ホロコーストに関する実務者協議ともいえる「ヴァンゼー会議」を再現した映画「ヒトラーのための虐殺会議」について。(ひどい邦題だがその話はしない)

過去には「謀議」という全く同じ内容の映画があったが、あれは米英資本の映画で言葉はすべて英語だったので臨場感はイマイチだった。今回のはヴァンゼー会議80年目の2022年にドイツ資本によって製作された映画。

・一言で怪作。凄まじい臨場感と迫力で、絶句するような妖気を放つ映画だった。絶対に観たほうがいい。

・ヴァンゼー会議の議事録は一部残存しており、これを忠実に再現した内容とのことだが、たぶんオフレコ的なセリフの数々は製作者の付け足しと思われる。

・ホロコーストの全てがここに収められていると言っていい情報量で、詰め込みまくっているが一本の映画としてしっかり成立している。非凡な映画である。(一体どれほどの観客がこの映画で語られる内容を理解でき、最後まで付いてこれたのであろうか? 日本にはおそらく数名しかいないであろう)

・例えばアンザッツグルッペンAの司令官ヴァルター・シュターレッカーの代理人、ルドルフ・ランゲ親衛隊少佐がけっこう重要な役割で登場。この時点で客の99%は「誰やねんコイツ?」であろう。

・ホロコーストはヒトラーが政権についてから段階的に始まっており、この会議以前にも既にポーランドやバルト三国、ウクライナ、クロアチアなどの東部占領地域では特殊部隊による移動抹殺作戦が開始されている。しかし、ドイツ帝国領内、オーストリア、チェコなどの旧ハプスブルク領、フランスなどの西部占領地域、ノルウェーなどの北欧諸国においては、ユダヤ人は監視はされているものの、東部ほどの野蛮な殺戮はまだ開始されていない。

・当時の空気感として、東ヨーロッパ諸国の法の支配の失われた地域(ドイツ国防軍やナチス親衛隊による軍政が敷かれた占領地区:ブラッドランドと呼ばれる)のユダヤ人はゴミ同然の扱いでその場でぶち殺したって何の問題も起きないが、西側やドイツ本国など法の秩序が保たれた地域ではユダヤ人を勝手に殺すとおおいに問題があった(例えばアーリア系の親戚や知り合いが文句を言ってきたり補償を求めてきたりする)。この映画を観ていると、それら命の価値の異なるユダヤ人をどう扱うかって話は長らく曖昧で、具体的に決められたのはこの会議だったということがわかる。

・ニュルンベルク法では混血ユダヤ人の規定は案外甘く、2分の1ユダヤ人はドイツ人として扱われたが、この会議においては、4分の1ユダヤ人でさえユダヤ人はユダヤ人なんだから情け容赦なく特別処理にすべきと多くの官僚や親衛隊員が考えていたことがわかる。(反対者はただの1人だけである)

・ただし、混血ユダヤ人は法的にはドイツ人として扱われている者が多かったので、ドイツ人と結婚している者も多く、子供がドイツ人として国防軍の兵士として活躍している場合も多かった。彼らを一緒くたに殺すのは抵抗運動を招くことになる・・会議で一番モメていたのはここだったが、殺さず断種処置するのはどうかと意見が出てとりあえずまとまる。

・興味深いのは、ドイツ兵として第一次欧州大戦で戦ったユダヤ人の扱いだ。超軍国主義体制の第三帝国では彼らはたいてい丁重に扱われた。過去の大戦に従軍し、命を賭け人生を捧げた元軍人は尊敬と崇拝の対象だったのだ。これはナチス中枢にいる者たちに若者が多く、実戦経験のない非軍人が多かったからである。元軍人がいようものなら無条件でさっさと昇進できた(例えばテオドール・アイケやフェリクス・シュタイナーなど)。ヒトラーも大戦を戦った元兵士であるがゆえに人気があったのだ。

・ナチス親衛隊は創設当初実戦経験を持つものが殆どいない素人集団で、最初は軍や警察の現役武官をリクルートすることから始めた。彼らはすぐに指導者クラスに出世。例えばゲシュタポミュラーことハインリヒ・ミュラーも元々はドイツ警察の刑事だ。

・長官のヒムラーでさえ前の大戦当時は子供で戦闘経験はなかったし、ハイドリヒに至ってはこの当時37歳で、彼も前の大戦の時はまだ子供。国家保安本部長官としては異常に若い。ヒムラーは戦闘経験がないことが生涯のコンプレックスであったから、大戦末期に無理やりヴァイクセル軍集団の司令長官に志願し、素人のくせに大軍団を率いてソ連軍と戦い、当たり前にボロ負けしてすぐに職を辞している。「戦ったことがある」というのは相当に価値あるブランドだったのである。

・では、そのブランドを持った、民族の宿敵かつ人種に非ざる者たち(=ユダヤ人)はどう扱われるのか、これもこの会議で規定され、プラハ郊外のテレジエーンシュタットの収容所に、老ユダヤ人収容所が作られ、彼らは丁重に扱われたのである。(そしてその穏やかな風景を対外メディア向けのプロパガンダの場にするという計画だ。老人は放置しても数が増えないし、時間が経てば死ぬのだから問題ないからだ。本当に隅々までよく考えるものである)

・戦争によって最も多くのユダヤ人を得て、どうしたものやら頭を抱えていたのがポーランドだ。ポーランド総督のハンス・フランクの代理人、ヨーゼフ・ビューラーの切羽詰まった余裕のない面構えは見どころだ。「最終解決」実践の場を提供する代わりに、まず優先順位として一番にやってほしいのが「うちのユダヤ人だろ」とこういうわけである。

・帝国ユダヤ人もオスト(東方占領地区)のユダヤ人も全部うち(ポーランド)に送りつけて構わないからさ、まずはうち(ポーランド)のユダヤ人をまず最初にやっちゃってよ、とハイドリヒとアイヒマンに食い下がるのだ。その必死さといったらない。ハイドリヒやアイヒマンも最初は「いやいやドイツ帝国領内のユダヤ人が最初でしょ」と受け付けないのだが、あまりに必死なビューラーの熱弁に押されて最終的には承諾する。まあ確かにまずは場所を空けないと受け入れられないんだからビューラーの言い分もわかる感じがする。そのようにしてまずはポーランドユダヤ人の最終解決が優先され、絶滅収容所も全てポーランドで建設されるというわけだ(この会議の時点ではアウシュビッツでさえまだ未稼働である。トレブリンカもまだ)。結果的に終戦までにポーランドユダヤ人の大部分は最終解決の犠牲となり、300万人が死亡。戦後も各地でポグロム(民間による虐殺)が吹き荒れ、ポーランドはユダヤ人がほぼいない世界を達成。ヒトラーのおかげだと言ってる人が今もたくさんいる。

・現場兵士の精神衛生も議論となる。ユダヤ人の大人の男なら撃ち殺したって別に心は傷まないが、女や子供は意味が違うだろ、とこういうわけだ。現場司令官の一人ルドルフ・ランゲは「我々は別に平気だけど。任務だし」みたいなことを言うのがおかしい。でも「酒は必要だ」と。これも史実である(大量銃殺の際にはシュナップスという強い蒸留酒が必ず処刑人に配られたのである)

・現場兵士の心労や心的外傷を気にする者がいて、1100万人のユダヤ人を全部殺すなんて、兵士たちが心配だと、神経を病むものも出ているじゃないか、と不安を口にするのが首相官房局長のヴィルヘルム・クリツィンガーだ。後年ヴァンゼー会議の犯罪性について証言した人物だ。

・クリツィンガーを安心させるように、絶滅収容所のクレマトリウムシステムについて開陳するハイドリヒ、アイヒマン、ゲシュタポミュラー。この知見はT4作戦の安楽死システムの技術者が参加したから可能になったというのだ。いわゆるガス室と焼却炉のことである。既に一酸化炭素を使った処刑は実用レベルであったが、案外死体の処理とか大変なのでもっと効率的なシステムが求められていた。ツィクロンBの発見とその実用のためのプロセスを説明するアイヒマン。この映画を観てるとホロコースト博士になれてしまいそうだ。

・それをきいてみんな安心。だったらやれるじゃん、いいじゃんそれでいこうぜという空気になるのが実に滑稽である。

・ゲシュタポ長官ハインリヒ・ミュラーは終始ハイドリヒの隣で影のように寄り添い、特に意見も何も言わないけど眼光鋭く周囲を睨めつけ、すごい存在感。アイヒマンはいかにも小役人という感じの風貌だが、やり手の現場指導者で彼の考えた移送のシステムでは皆が感嘆。ゲシュタポミュラーも「アイヒマンがあと50人いれば戦争に勝てた」と発言したそうである。

・そのミュラーが劇中唯一意見らしいことを言うのが「ユダヤ人を殺すこともまた戦争の一部」だ。ここに彼の思想が集約されている。ユダヤ人を効率よくたくさん殺せる優秀なアイヒマンのような部下がもっとたくさんいてほしかったという意味であろう。


2023/3/13


シベリア出兵や満州事変以降の石井機関の創設、拡大に見るように、日本はロシアとの最終戦争を常に想定し、陸軍に代表される多くの組織が北進論を唱えていた。関東軍の仮想敵は常にロシアであり、ソ連軍であった。


しかし、ノモンハン戦争での大敗北の衝撃は、シベリア出兵の失敗を大きく上回る挫折感を関東軍に与えた。


現代においては死傷者の数のみ比較して引き分けに近かったと論じる漫画家もいるが、ノモンハン戦争が大敗北であったことは当時陸軍も認めていた動かぬ事実であった。特にゲリラや軍閥、中国の田舎軍隊ばかり相手にしていた日本軍は、ソ連軍の戦車を戦力の中枢に組み入れた機械化部隊に大きく遅れをとり、どう戦えば良いかもわからず、全く対策と反省を欠いたままソ連と向き合わねばならなかった。


関東軍も参謀本部の首脳も再びソ連と衝突することだけは避けたいと願い、野心は北から南へと転じていった。奇しくも欧州ではドイツ国防軍が機械化された部隊を縦横無尽に運用し、西に東に大活躍し、あっという間に旧秩序を破壊して陸戦の王者となろうとしていた。ドイツ国防軍の活躍に幻惑されたのは陸軍だけではなく、日本国民も同じであった。オランダやフランスといった宗主国が敗滅した東南アジアの油田地帯が次なる野心の矛先となった。


それまで米英と露骨に敵対するのだけは避けたいと、ドイツイタリアとは消極的な同盟を結んでいたが、第二次近衛内閣が成立すると、外相の松岡洋右が主導となって日独伊三国協定を結んで米英との対立が決定的となった。時を同じくして陸海軍は仏印進駐を断行。もはや許せぬとアメリカは対日禁輸をもって報復した。このようにして、南進も大失敗するのは既知の事実である。


もともと長らく北進を目指し準備していた日本が、ソ連軍との局地戦に敗れ恐れをなし、ドイツの動きに幻惑されて場当たり的に南を目指し、その結果あっさりと米英に阻まれて首が回らなくなったのがわかる。情けない限り。


2023/3/12


石井細菌戦部隊が常徳において行った、航空機によるペスト菌散布作戦は極秘も極秘、軍医自らが操縦桿を握って行われたものだった。


秘密兵器が実戦に投入された場合、相手側の被害の状況を知るための観測を行う作業も必要だが、常徳においてはその為の部隊も大規模に編成され、散布攻撃後の水質調査や衛生資材の回収なども行われ、ペスト菌の流行が確認されたと認定され、実際に村々に患者が溢れ出したため、日本軍中央はペスト菌爆弾がある程度の効果をあげたことを知った。


しかし、攻撃される側の中国人にとっては、日本軍が飛行機を使ってペスト菌を含ませた藁や陶器、穀物をばら撒くなんていくらなんでも想像の外である。もともと伝染病が流行することは珍しくもない土地であり、その当時もペストの流行をまさか日本軍の仕業とは思わなかった。


患者が一人出ればその家族が懸命に看病したため、コミュニティ全体が感染し、またその致死率の高さゆえにほんの数名を残したのみで全滅した村もあり、また人の行き来が僅かでもあれば、村から村へペストが蔓延することとなった。また、兵士が感染した場合も兵士は死の寸前に自分の村で家族に看取られて死にたいと願った為ペストに感染した状態で帰郷し、その家族や周囲の者たちに伝染した。


中国人たちはペストに襲われた村を、あそこは悪い霊が憑いているだとか、先祖が悪かったのだとか噂し合い、感染者のでた村人は差別をされて戦後もまともな扱いを受けられなかったという。


この時のペストの流行が実は日本軍の特殊作戦の結果であったことは、数十年経ってようやく日の目を見ることとなったのだが、その頃には当時を知る村人は少なくなっており、また新たに研究を始めようとする者も少なかったため、被害の実態は今も謎が多く、その他でも似た事例が多くあった筈だが(なにしろ石井部隊の関係支部、支所は全中国にまで広がっており関東軍の全ての部隊が関連する特殊部隊を抱えていたのだ)、全く謎のままに歴史に埋もれてしまったのである。


また、不幸なことに真面目な中国側の研究や資料も、共産党の独裁下ではどこまで信用できるのかよくわからず、歴史研究にどうしても政治の色がついてしまい、今後も研究が活発に進むことはなさそうだということである。


2023/3/11


いわゆる731部隊について。


他の多くの日本の組織がそうであるように、731部隊もまたロシアとの戦争に備えて作られ成長した組織である。


京都帝国大学医学部卒業の石井四郎が1932年に軍部を説得して設立。当初より生物・化学兵器の開発が主目的の機関であった。満州事変後の33年には既にハルピン郊外で人体実験を開始。石井四郎はその責任者だった。


36年には天皇の裁可も得て、関東軍内部に関東軍防疫部として展開。日中戦争が始まると、兵士たちに生水を飲ませないよう、清潔な水を提供するための重要な兵站任務を帯びることとなった。しかしこれは表の顔で、中国軍・民衆に対しては全く逆の任務を行うようになって行く。


39年のノモンハン戦争では、捕らえたソ連軍捕虜よりソ連軍が川の水や雨水を処理(煮沸・濾過)もせずそのまま飲んでいるとの情報を得て、給水地を細菌攻撃し攻勢を頓挫させるという作戦を立て、実行に移した。2,30名ほどの決死隊が編成され、軍医少佐が最前線に自ら赴きホルステン河上流でチフス菌の培養液をドラム缶約30本分を河に流した。(被害の程は資料がなく不明)


ノモンハン戦争で実戦の経験を得た石井部隊は陸軍中央の評価を得て防疫給水部本部と名を変え、拡大再編された。関東軍のほぼ全ての部隊に支部や支所が作られ、関係組織は中国全土にまで拡大。表向きは兵站任務であるが裏の顔は細菌戦であり、ハルピン郊外では残虐な人体実験が続けられた。


陸軍中央は40年7月以降は細菌兵器の使用を命令するようになり、41年末の常徳におけるペスト菌による航空攻撃ではペストの流行を引き起こし作戦が成功したことが記録されている。約500の村々でペストが流行し、全滅した村もあった。被害総数は少なくとも8,000人だが、実態は遥かに多かったと考えられている。


45年の夏にソ連軍侵攻が現実となると、石井部隊とその家族は優先的に避難するのを許された。石井四郎は隊員たちに秘密は墓場まで持っていくこと、公職に就くこと、元隊員間で連絡を取り合うこと禁じたとされる。


連合国軍総司令部(GHQ)は石井四郎を訴追しない代わりに膨大な実験データをそのまま提供することを要求。石井やその部下、幹部たちはアメリカと秘密協定を結んで戦後を生き延びた。


恐ろしげな人道犯罪を自国内では行わず、法の支配が失われた占領地で大規模に行なったことは、ナチス親衛隊の医師団と共通する部分だ。おそらく戦争において人間が必ず行う宿業であろう。


現在のウクライナ戦争においても、東部のロシア軍支配領域は法の支配が及ばぬ空白の土地であり、恐ろしいことが今も行われているはずである。


2023/3/10


今日は東京大空襲から78年の日。米空軍による黙示録的なテロ空爆により一夜で10万人の無辜が大虐殺された。


これがどれほど比肩しうるもののない犯罪なのか、ほとんど語られないことに驚きだ。広島長崎が後に続くからなのか。巧妙な占領政策による洗脳なのか。


文字通りの意味での「絶滅戦争」とも言われる独ソの東部戦線においてもこの規模の虐殺はごくごく稀だ。


一晩で10万人というスコアは、歴史的に見ても間違いなく原子爆弾に次ぐものだ。


「絶滅戦争」東部戦線において最大規模の虐殺は、ウクライナ南端の街オデッサにおける虐殺で、ルーマニア軍によるユダヤ人狩りや市民への無差別テロにより50,000人が死亡したが、東京大空襲とは比較にもならない。


東部戦線の捕虜収容所ではロシア兵が飢餓に追い込まれ、冬の更地に放置された上で包囲され、310万人が死亡。


ホロコーストでは悪名高い「収穫感謝祭作戦」がある。ナチス親衛隊の特殊部隊やドイツ警察、ウクライナ傭兵により、たった2日間で40,000人以上のユダヤ人労働者が役目を終えたとされ死の穴の縁で銃殺された。


絶滅収容所では、例えばアウシュビッツやトレブリンカではそれぞれ100万人のユダヤ人が銃やガスや飢餓で殺された。


それでも一晩で10万という数字は滅多に聞かれない。彼らは自分たちの慣れ親しんだ住処、コミュニティのど真ん中で、都市ごと丸ごと絶滅させられたのである。


アメリカという化け物じみた超大国を本気で怒らせたらどうなるのか、それを現代にまで如実に伝える世界史的にも重要な出来事である。


2023/3/9


インボイス制度


これまでは消費税を免税されていた、収益1000万未満の非課税業者にも課税しようという、実質増税。


今年の秋から始まことが確定している。


売り上げの10%を複雑な事務手続きを経た上で納税しなければならず、体力のない個人事業主は廃業のリスクがある。(というか体力のない事業者をターゲットにした法律である)


インボイスに登録しないという選択肢もある。その場合は取引先が代わりに消費税を払う形となるため信用を失い、仕事の発注が減る、或いは無くなる可能性が高い。例えばB取引先から10万の報酬を貰ったA事業者がインボイスに登録しない場合、B取引先が代わりに10000円納税するのだ。普通ならこんな関係は成り立たない。少なくとも長続きはしない。


先にインボイスに似た制度を導入した欧州諸国ではほんの数年で免税事業者は淘汰され、全て廃業に追い込まれ、全くいなくなってしまったという。


巷ではアリンコ潰しの悪法と呼ばれている。


トマ・ピケティが「新資本論」で指摘した通り、平時において貧富の格差はどんどん加速していくのが歴史の通例。日本も例外でなく、自民党は長期にわたって富裕層を優遇し貧困層を殺す政策を遂行し続けた。


格差が一時的に圧縮されたほんの一時期は、太平洋戦争における黙示録的な総破壊と、GHQによる占領政策だ。それを3丁目の夕日と懐かしんでいたのがつい最近で、今は新自由主義による無限の競争により、雪だるま式に膨らむ資本家の欲望…それに苦しみ喘ぐ民草の絶望。それが偽らざる今の日本の姿である。


2023/3/1


この春のロシアの大攻勢が「ラインの守り」となるか、「春の目覚め」となるか、どちらにせよロシアの勝利は無さそうであると西側研究機関。


戦争終結の青写真がようやく見えてきて中国も慌てて介入しようとしている。


長らく「ロシア軍によるウクライナ侵攻」と表現されていたこの戦争、いつの間にか「ウクライナ戦争」という呼称になっていますね。