《第三帝国》ナチスと麻薬《ドラッグ》

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囚人達が10キロメートルを踏破するたびに靴底の減り具合がチェックされた。囚人はしばしば横になり、膝の屈伸をし、匍匐前進し、あるいはその場跳びをするよう命じられた。痩せさらばえた「シューロイファー」の誰かが卒倒することも少なくなかったが、ブレンシャイトはすかさずシェパード犬をけしかけた。この行進は悪天候でも、足並みを揃えたり、崩したり、あるいはグースステップ(膝を曲げずに脚を高く上げて進む歩き方)を挟んだりして続けられた。

ザクセンハウゼンで検査に合格した人造皮革だけが製造に使用することが許された。当局は収容者1人に対し6ライヒスマルクをKZに支払った。再生革(ボンデッドレザーファイバー)はほとんど1000キロメートル歩かないうちに利用不能となったが、IGファルベン社のソフトビニール製イゲリート・ソールは2000キロメートル強を踏破した。これらは全て労を厭わず記録されたが、実験によって死亡した囚人の数は記録されていない。推定では1日20人の囚人が絶命した。「労働による虐殺」。親衛隊ではそう呼ばれていた。

錠剤パトロール

1944年11月、海軍はシューロイファー特務部隊をある秘密司令のために借り受けた。

囚人達は純コカインを50mg〜100mgをも含有する錠剤、20mgのガムタイプのコカイン、従来のテムラー社の7倍容量ものガムタイプのペルビチンを渡された。服用後、30分してテスト歩行路での行進が始まった。

のちのユニセフ共同創始者オッド・ナンセンはこの時の実験についてこう記している。

驚嘆すべきパトロール隊が今、いつ果てるともなく練兵場の周りを行進している。歩兵部隊のようだ。彼らは皆荷物を背負い、歩きながら歌って口笛を吹いている。彼らは新開発の強壮剤のためのモルモットなのだ。彼らの体を使って、その錠剤を服用してどれだけ長く歩き続けられるかを見ようというのだ。最初の24時間が経過すると殆どの者が脱落して倒れ込んだ。この錠剤を服用すれば信じ難いことが可能になるという話だったのだが。そう、ドイツ人は今こそそのような錠剤を必要としているのだろう。

被験者3番のギュンター・レーマンは75mgものコカインの影響で、ただ1人翌朝まで歩き続けた。歩行距離は合計96キロメートル。「疲れの色も見せず」と皮肉な調子で実験記録には記されている。

このノーマンの記録はのちの実験グループのノルマとなり、このノルマを果たさずに歩くことをやめたら死が待っていると脅迫された。だからほぼ全員が要求された90キロメートルを踏破した。海軍一等軍医のリヒェルトは満足してこう記録した。

この薬剤の作用で個人の意向や意志はほぼ機能停止となった」それはいかにも無意味で人間を愚弄する実験であった。

リヒェルトが出した提案は、若い海軍兵士たちを睡眠なしの4昼夜の実戦に投入する際には毎回コカイン入りガムを渡し、そのガムを噛みながら勝算のない最終戦争に命を捧げさせるというものである。

1944年12月、ドレスデンでのちのヒトラーの後継者となるカール・デーニッツは5000人のヒトラーユーゲントの少年兵士達を前に志願兵を募った。彼はミニチェアの「特殊潜航艇」を少年達に見せつけ、これこそが最終勝利(エントジーク)の為の最後の希望であると讃えたのだ。

無数のヒトラーユーゲントが名乗り出た。殆どは15歳前後の少年達は配属先の港に連れていかれ、極秘任務用の制服を手渡された。小さな黄金のノコギリエイのロゴが縫い込まれた制帽を被ることでいかなる運命が自分たちを見舞うことになるのか、当然ながら若き少年兵士達には知る由もなかった。彼らは急拵えの特殊潜航艇に乗り込み、同じく急拵えのコカイン入りのガムを受け取った。まもなくほとんどの者が大西洋の冷たい波間で溺れ死ぬことになった。袋に入れて沈められた子猫のように。

ドーピング剤を投与された海軍小規模戦闘部隊「K」は、かつて世界征服を目前にのぞみ、敵から畏怖された軍隊の最後の残りカスであった。

戦後、海軍の医療部隊スタッフがニュルンベルク裁判で被告人席に立たされることはなかった。

K部隊指導者のヘルムート・ハイエは戦争を生き延び、生涯西ドイツ連邦で軍と関係を持ち続けた。

何の説明もないまま麻薬漬けにされ、狂気に囚われ溺れ死んだ彼の部下達は、今なお鋼鉄の柩から出られぬまま海底に沈んでいる。

その後〜CIAの「MKウルトラ」へ〜

ライプツィヒ大学の親衛隊大尉クルト・プレートナー博士はKZダッハウにおいて、効果的な尋問に関して薬物をいかに用いるかを研究していた。アウシュビッツ絶滅収容所で既に行われていた実験を引き継ぐ形であった。

これらの実験の出発点となったのは、ポーランドの抵抗運動の闘士達の尋問で、相手から情報を引き出すのに難儀したゲシュタポがフラストレーションを感じたことによる。

プレートナーは収容者に知らせぬままメスカリンを投与し、これが心の秘密の扉を容易に開いてしまうことを確認した。

メスカリンは向精神作用のあるアルカロイドで、アメリカ先住民は数千年前から祖先の霊や神々と交流する為の儀式でこれを用いてきた。つまり強い幻覚をひきおこす。

メスカリンを投与された被験者は、30分から1時間が経過すると変化が起きてくる。プレートナーはモルモットに「お前の考えていることは私に筒抜だ」と言って信じこませ、何でも自分から話したほうが良い、そうでなければ酷い目にあうぞ、と言い含めた。

この卑劣な戦略はうまくいった。

メスカリンが効果を発揮すると、質問の仕方を間違えない限り、実験者はいつでもその囚人の最も個人的な秘密さえ聞き出すことができた。エロスや性にまつわる話ですら自分からベラベラ話すようになるのだ。もう何も心の中にしまっておくことができない。憎悪や復讐心といった内心の感情が毎回明るみに出される。罠にかけるような質問でも見透かされることはないので、言質をとって相手に罪を着せることは実に容易である。

プレートナーは一連の実験を最後までやり抜くことはできなかった。米軍がダッハウ強制収容所を解放したからだ。米軍はプレートナーの実験資料を押収し、ワシントンD.C.の海軍医学研究所で研究を継続した。その成果を用いて、米軍は朝鮮戦争でソ連側スパイを見つけ出すことを目論んだ。戦勝国アメリカはロケット飛行に関する知見を第三帝国から労せずして手に入れたが、まったく同様に薬物を通して人体、精神を支配する術を第三帝国から学んだのだ。

プレートナーの先行研究に基づくアメリカの秘密プログラム「MKウルトラ」はマインドコントロール(MindKontrol)を目標としていた。コントロールをCではなくKとドイツ語表記としたのは、ドイツからの影響に対するオマージュと考えるべきだろう。

プレートナーは罰せられることもなく戦後を生き延び、1954年に フライブルク大学の員外教授に任命されている。

おわりに

筆者も子供の頃、ドイツ国防軍の華々しい戦果に胸を熱くした一人だ。戦車と飛行機を用いた革命的戦術、勇気、忍耐、戦友魂、死をも恐れぬ頑張り、国に対する忠誠……ドイツ国防軍こそが世界最強……最後は物量に屈したに過ぎない。

ただ、ナチのことを詳しく調べていくとそんな無邪気な考えは次第に消えて行く。当時の帝国政府が発したプロパガンダがほとんど形を変えずにそのまま伝わっている。ナチのプロパガンダは現代においてまだ生きているのだ、と知ることになる。

これらのナチスを好意的に捉える情報はホロコースト否定論を利する結果となり、今でもインターネットの世界でナチスは大人気だ。武装SSに憧れる中高生が山ほどいる。サブカルチャーの世界でも、ナチス親衛隊によく似た服装のキャラクターが冷酷だが誇り高き武人として登場する。現実に第三帝国崩壊に際して最後まで戦い続けたのは、ど素人の子供や外国人の傭兵ばかりだったのに。

全体主義的な国家や組織が、構成員の健康や意志、尊厳を踏みにじって自らの目的のために薬物を使用する例は、ドイツ第三帝国のペルビチンやコカインに限らない。同時代の英米で多用されたベンゼドリン、大日本帝国のヒロポン、最近ではオウム真理教のLSDなど、枚挙にいとまがない。アフリカでは少年兵士を洗脳するツールとして使用されている。女を性奴隷化するプロセスに覚醒剤が常用されている。

現在も世界各地で兵士の能力を向上させる薬物の研究開発が進められており、戦争と薬物は決して過去の問題ではない。

ナチスドイツが革命的な戦闘集団であるという通説は誤りである。「人間離れした偉業」は意志に反して投与された薬物によって、一時的に心身が活性化されていたからにすぎない。何の説明も受けぬまま麻薬漬けにされ、大西洋に沈められた少年兵士達は英雄ではない。メタンフェタミンを投与され、太平洋に散った若き特攻隊員達は冷酷な独裁体制による犠牲者である。

人々が雪の穴の中の死を英雄的な死と混同し始めると、必ずや誤った回答が出されるのだ。英雄的な死などない……あるのは憐れむべき死だけだ。スターリングラードの兵士たちはそのことを知っている……

――H・G・コンザリク「第6軍の心臓」