メモ帳(R5年)

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2023/2/25


日本の近代史は100年以上に及ぶロシアとの戦いの歴史である。ロシアとの戦いが中国やアメリカとの戦いへと広がっていった。


シベリア出兵はまさしく日中戦争の前史といえる出来事だ。日露戦争後のポーツマス条約で南満州の権益を得た日本が、守備隊として置いたのが関東都督府。当時は第七師団が主で、強力な国境警備隊のような位置付けだ。これがのちに関東庁となり、関東軍となる。関東軍は政府から独立して作戦行動を行い、表向きは参謀本部の指揮下にあったが参謀本部の命令にも従わず暴走してゆくのは既知の史実。


第一次世界大戦中にロシア革命が起こり、西欧の干渉戦争が始まると、日本政府は南満州の権益を拡大する好機が到来したと考えた。干渉軍90,000のうち実に72,000が日本軍。


なぜ日本が旧ロシア帝国政府を支援したかといえば、北満州と南満州を分割し、いわば共同統治していた立場上、英国米国の影響力を排し中国朝鮮の愛国運動を抑えつけるために日露は当時四次にも渡る協定を結び、連携する間柄にあったから。革命軍のことは過激派と呼び敵対。


日本軍は大規模な部隊を進撃させ、バイカル湖以東をほぼ手中に置いたが、それら新しい領土には当時日本に併合されたことを不満に思う朝鮮人がたくさんいて、間島パルチザンという抗日運動を組織していた。干渉戦争を名目に軍を派遣した日本だったが、朝鮮人ゲリラの掃討も大きな作戦目標となり、一時的には間島パルチザンの根拠地である中国領内に越境進軍したりもしている。日本軍は徹底した流血で黙らせる戦略を取り、残忍であったという。


ロシアとの戦いで奪い取った権益は元々中国や朝鮮にゆかりのある土地であり、この権益を守ろうと武力を用い、現地民を弾圧し、革命に乗じて支配領域を広げようとしたことが現在にまで禍根を残す原因である。


参考:日中戦争全史 笠原十九司


ロシアからは敵対したり連携したりする中で、大陸国家の容赦のなさ狡猾さを学んだといえるだろう。





2023/2/23


ウクライナ侵攻後、ロシアから脱出した企業がジョージア(グルジア)に行き、ロシア人労働者が流入する流れあり、グルジア人はロシア人の増加に警戒感。


ロシア人居留民の保護を名目にまたロシアが軍を送ってくる可能性がある。ジョージア以外にもモルドバなどに同じ現象が。


ヒトラーがドイツ語話者を広義に民族ドイツ人(フォルクスドイッチュ)と定め、その保護を名目に旧ハプスブルク領の国々を次々侵略した流れに酷似。いまだにこんなことが続けられるとは。


2023/2/21 tuesday


戦争の前は憤怒なり、戦争の中は悲劇なり、戦争の後は滑稽なり(長谷川如是閑)


2023/2/20 monday


シベリア出兵について。

シベリアは西比利亜とか西伯利亞とか西比利とか西伯利などと表記されていたが、この表記揺れが象徴するように、日本人にとっては長らく漠然とした曖昧なイメージと無関心さがあった。

日本がこの曖昧なシベリアなる未開の土地に兵を送る羽目になったのは、表向きはチェコスロヴァキア軍団の救出に手を貸すよう、主に英国などの列強から要請されたことがきっかけ。

第一次世界大戦中、ロシア帝国軍がチェコ人やスロヴァキア人捕虜を使って編成した軍団で、1918年にロシア帝国が革命で倒れると、チェコスロヴァキア軍団は革命軍や過激派(=ボリシェビキ)と敵対し、ロシアの奥深くで孤立。これをシベリア鉄道を用いて救出しようというのがことの発端。

日本は日露戦争で有利な講和を結んだが、いわば不完全な勝利でありロシアがいつ復讐してくるか怖かった。また天皇を頂く国であり革命思想は国家転覆に結びつく超危険思想。これが輸出されてくると色々とヤバい。この期に緩衝国家でも作って資源を分捕れれば言うことなし。←これがロシアの内戦に干渉するきっかけとなった。また居留民保護も大義名分。

しかし長らく続いた世界大戦で疲れ切った諸外国はチェコ軍団救出を一応はやり遂げると、レーニンの革命政府が国家樹立を確実なものとするとさっさと撤兵。手を引いてしまった。日本は緩衝国家樹立に手を焼いてだらだらと大義のない戦争を続けてしまった。ロシア人の占領者に対する憎しみは日本に集中。また味方だったはずの米国や英国にも領土的野心を見抜かれて警戒されることになり、のちの対米戦争のきっかけを作ってしまった。

日本政府の拙い野心と戦略性のない場当たり主義はこの頃から変わらなかったのだが、現場の兵士たちはただ黙々と命令に従い粛々と戦い続けた。