その後、インディアナ州ほか、32州で断種法が成立。施設内の精神障害者の断種が法的に認められた。同法は、精神障害や犯罪を遺伝の産物とみなし、州施設の医師が委員会を設置して断種の適否を決めるという形をとっていた。
カリフォルニア州でも、似たような法律が制定されたが、収監中の犯罪者をメインターゲットとしたことが特異であった。それは梅毒患者などの性病患者にも及び、強姦罪などの罰則にも用いられた。手術件数もずば抜けて多かった。1921年までの全米での断種件数は3233件であったが、そのうち2558件がカリフォルニア州で行われた手術だった。
33年のナチスの断種法は、カリフォルニア州の「実績」を念頭に作られたものだった。
移民制限
アメリカが行ったもう一つの強力な優生政策は移民の制限であった。
1924年に議会を通過した絶対移民制限法は、欧州人種の間に人種的な優劣があることを前提にした差別的な法律であった。
これは、アメリカを建国したのはアングロ・サクソンであり、人種としてアングロ・サクソンが最も優秀であるとする人種観が根強く影響していた。
1916年に出版された『偉大な人種の消滅』では、「北欧人種の血の濃さが、戦争での強さと文明存立のための尺度である」と述べられ、多くの読者を獲得した。
この時代に大衆の人気を集めたT・ルーズベルトは、白人種の出生率の少なさを憂い、公然と黄禍論を唱えた。アメリカ南北戦争では北部連合が勝利したはずだったが、1913年の時点でも、32州で黒人と白人の結婚と性交渉は法律で禁じられていた。
上記のような、人種の優劣や精神障害や犯罪の遺伝説に科学的な外装を与えたのが、この時代に整備されたIQ検査であった。これは、フランスの心理学者A・ビネーが、1904年に落ちこぼれ児童を同定するための客観的方法として開発した検査である。ビネーはこのIQ検査が、排除の理論に悪用されることを危惧していたというが、アメリカでまさにその心配が現実になったのである。
ビネー・テストはアメリカに翻訳されて導入された。知能は、人間の行動すべてにかかわるもので、犯罪も知能の遅れもIQが低いから起こると解釈された。
アメリカ政府は、移民がまず上陸するエリス島で試験的にIQ検査を導入し、ほとんどの移民が12歳以下の知的障害の範疇に入ることに仰天した。その後、ビネー・テストは移民向けに改良がくわえられ、現在のIQ検査の元となった。
また、第一次大戦中には従軍兵士に大々的にIQ検査が行われたが、アメリカに来て間もない者ほど成績が悪いと解釈された。
1920年代には、精神病院やサナトリウムの大規模調査が行われ、患者の人種的構成比率が調べられた。これは差別的な人種観を強化する結果に終わった。北欧人種よりも、その他の国の移民の方が、理論値よりもずっと多かったのである。
これらの結果「劣った人種は病気になりやすい」「犯罪を犯す」と解釈されることになった。
このような背景で成立した絶対移民制限法により、1890年時点のアメリカ国民の2パーセント以下に移民を制限することになった。この法律で、事実上、東欧、南欧の移民は不可能になり、中国人や日本人も排除されることになった。この移民制限法は、アメリカを建国したWASP(白人、アングロ・サクソン、清教徒)以外は拒否します、と言っているのと同じだった。1965年の移民国籍法まで、アメリカにはこのような人種差別的な性格がずっと存在し続けた。
ドイツの場合
19世紀後半に、ダーウィンの主張を社会に当てはめようとしたのはドイツも同じであった。彼らの論理では、肉体的に屈強な者ほど厳しい労働や過酷な戦争に晒され、貧困に苦しみ、兵役検査に落ちるような虚弱な者ほど銃後で安全に暮らし、子孫を残している、と考えられた。
また、医学の発展や公衆衛生の進歩は、本来なら生き延びられなかったような虚弱な個体に生存と繁殖の機会を与え、優秀で体の強い個体の繁殖の機会を奪っていると考えられた。