【群集心理】政治宣伝とは何か【プロパガンダ】

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また、ドイツで、この大衆の性質をはじめに利用しようとした政治団体があった。フェルディナント・ラサールによって創設された、全ドイツ労働者協会、後のドイツ社会民主党(SPD)である。SPDは100万人の党員を要する大政党になったが、彼らが大衆を動員する手段として用いたのが、新聞、ビラ、大衆集会であった。こうした扇動方法を実践したという意味で、ラサールはレーニンやヒトラーの先駆的存在である。彼は、大衆の感情に訴えかける演説をぶつことで特徴があった。SPDは労働者にマルクス主義を宣伝し、彼らを動員するために全国、地方新聞を利用した。雑誌、時には漫画雑誌まで大きな力としたのである。

この手法はボルシェビキの指導者であるニコライ・レーニンに受け継がれた。レーニンも新聞や雑誌を多数発行して大衆を動員しようとした。またレーニンは感情的に訴えかけるという手法も忘れなかった。むしろ、理性に訴えかけても理解できるのは一部のみ、大部分の無学な無教養者を動員させるためには周囲の無意識的模倣を起こさせればよいと知っていた。そうして理性よりも情緒的なアピールに血道を注いだのである。レーニンはル・ボンの群集心理学を熟知していたので、こうした方法をとることができたのである。ル・ボンはこう言っている。「大衆は理性で思想を採用することはない。大衆は感情で思想を採用する。また、単純化された思想は模倣しやすく簡単に骨肉の一部となる」

その2 ラジオ

ww1後の世の中で新しい伝達手段として誕生したのがラジオである。ドイツでは1923年に放送を開始し、瞬く間に聴取者が増加した。重要なメディアとして、国家はいかにしてラジオを手中にするかが重要な問題となり、1926年地方の放送局は「全国ラジオ会社」に統合されて国家のコントロール下におかれた。1929年の世界恐慌を背景にしてナチが躍進し、第1党となるとラジオのあり方も変わった。国家はラジオの放送要綱をより国粋主義的なものとし、これにそぐわないディレクターを次々解任、ナチへ移行する準備運動がはじまった。解任されたディレクターの代わりにナチ(特にゲッベルス)と関係の深い人物がすえられ、国家を手中にする以前からナチはラジオをその手に握っていたのである。

政権獲得後もナチはラジオをプロパガンダに活用しまくった。その要となったのは言うまでもなくヨーゼフ・ゲッベルスである。ゲッベルスはこう言っている。「我々はあらゆる手段を動員する 金はあるしラジオは我々のものだ ヒトラーの演説は全放送局で流される 私はそのルポルタージュをする」
ゲッベルスはラジオで国民を扇動する方法を考え続け、そのために新しい省までつくった。番組スタッフを粛清し、番組をナチ化した。例えば全放送局は毎日19時~20時に番組「国民の時間」というシリーズを放送した。これは政策的理由からの義務として受け入れられた。ナチは数多くの祝日を設定し、その都度特別番組を放送、突撃隊の行進や果てしない演説を中継した。時には17時間も祭典の中継や関連番組を放送した。
放送内容は我々が聴くと寒気を覚えるようなものも多かった。例えば突撃隊や保安警察が共産党残党の本部を強制捜査する様子を生中継するような排外主義的、民族主義的な番組も多かったといわれる。

ゲッベルスは国民全てにラジオの聴取者になることを望み、国民的な自動車であるフォルクスワーゲンのラジオ版ともいえる「国民受信機」を大量生産して販売した。28のラジオ製造会社が宣伝省の命令で共同開発したこのラジオは安価にするため単純な構造だった。これによって近隣の電波しか受信できず、外国の放送が入ることはなく、2重に都合が良かった。これを大量生産して一家に一台のラジオ、という形にすることがゲッベルスの狙いであった。事実発売初日にこの国民受信機は10万台が売れた。ゲッベルスはラジオを聴くことを国民の義務とし、労働時間にヒトラーの演説番組が始まると仕事を中断させてラジオを聴くように仕向ける団体を多数設立した。国民が強制的にラジオを聴かせられることを本心でどう思ったかは別として、これは極めて有効な方法だった。

その3 映画

20世紀のテクノロジーが新たに開発したメディアが映画だった。映画は視覚的な情報伝達であるため、より直接的に官能や感情、心象に訴える力を持っている。映画は明らかに理性的な説得には適さないメディアである。ただ、映画は新聞やラジオのように日常的に影響を与えることのできるメディアではないので、プロパガンダ戦術の1つである、繰り返す、という面では弱点を持っていた。
それでも20世紀の大衆指導者たちは映画をプロパガンダに利用しようとした。ボルシェビキはここでもその先駆的存在となり、「戦艦ポチョムキン」はロシア共産党の初期のプロパガンダ映画の傑作として今なお有名である。この映画では帝政に苦しめられる人民の姿、立ち上がる人々、戦いに勝利する民衆が視覚化され、伝えられた。このような視覚表現を通して、高揚感と共に武力革命のイメージが大衆に刷り込まれたのである。

しかし映画をプロパガンダに利用した例としてより有名なのは当然のごとくナチである。ナチは映画の役割として、党大会や集会に参加できなかった人々にまで、その模様を伝えることに主眼を置いた。こうして数多くのニュース映画やドキュメンタリー映画が作られた。ここで有名なのは「意志の勝利」である。こうした映画が大衆に植え込もうとしたのは思想ではなく、ヒトラー個人のイメージ、或いは彼が代表する情念だった。大衆を陶酔させ、ヒトラー個人に帰依させること、絶対的な指導者のイメージを作り、それを大衆の心象に刻み込むことである。この戦略を指揮していたのはやはりゲッベルスだった。この方法は現在の米大統領選挙でも実践されている。

ナチは映像プロパガンダにおいて「連想」というテクニックを使った。例えばヒトラーと歴史上の英雄であるフリードリヒ大王をダブるように演出するのである。また逆に汚いドブネズミが穀物を食い荒らす様子と、薄汚れたユダヤ人の映像を相次いで写し、両者の類似性を暗示させた。こうして観客は理性でユダヤ人問題を考える前に、感情的な嫌悪感を持ってしまい、思考停止に陥る。この方法は今でも日教組が「南京大虐殺」をプロパガンダする際、生首や腹を切り開かれた婦人の写真を提示しながら日本軍の悪辣ぶりを提示するという方法で現在でも実践されている。性質の悪いことに写真の多くは偽写真であったりする。問答無用に日本軍に対する嫌悪感を持つにいたるのである。こうした嘘は繰り返され、次第に真実へと変わっていく。
またナチは、ステレオタイプ、紋切り型にしたユダヤ人像を誇張して描き、大衆のユダヤ人像をステレオタイプ化しようとした。例えば、ある劇映画では無実の男をおとしいれ、その妻に言い寄るというストーリーで悪辣で狡猾なユダヤ人を演出した。この効果は既に顕在化していたユダヤ人像をより強固なものにする効果があった。これら映画の宣伝戦略を指揮したのはゲッベルスである。ゲッベルスは娯楽の中にプロパガンダを縫いこませるべきだという信念を持っており、これはヒトラーにはないものだった。しかし、現在のハリウッド映画のプロパガンダ効果を考えれば、正しかったのはゲッベルスだったことがわかる。アメリカの宣伝戦略のほとんどはナチから学んだものである。

~幻影の時代の始まり~

その4 テレビ

アメリカの歴史学者ダニエル・ブーアスティンによれば、「我々は幻影の世界に生きて」おり、「空想のほうが現実よりも重要」である。幻影の時代はテレビの普及と共に始まった。テレビは現実の一部を恣意的に切り取って我々に伝える。それは全くのデタラメではないけれども、真実では断じてない。それはイメージによって構築される世界である。我々はそんなイメージの攻撃に常にさらされている。
テレビの普及はプロパガンダ戦術のあり方に革命をもたらした。大群衆の前で絶叫を上げるヒトラーのようなスタイルは今日ではあまり見られない。テレビ画面を通じてにこやかに語りかける手法が一般的になった。テレビは、映画の日常的でないメディアであったという弱点を、克服している。テレビはある面では政治指導者のしぐさや語り口などを生々しく伝えたので、カリスマ性と神秘性を剥ぎ取ってしまい、彼らがドラマチックでもなんでもない普通の人間であることを白日の下に晒した。しかし、プロパガンダ戦術が効力を失ったというわけではない。それどころかプロパガンダ戦術は新しいトリックを発見さえした。そして、ナチ・ボルシェビキプロパガンダが基本に横たわっていることにも変わりはない。テレビによって新しくなったのはそのスタイルであって、大衆が理性ではなく感情に動かされること、単純化して反復することによって暗示をかけること、それは何も変わっていない。変わったのはそのスタイルである。
こうした新しいスタイルが見られるのは主にアメリカであるが、日本も例外ではない。

最初に選挙にテレビが利用されたのは1950年代のアメリカ大統領選挙である。ロナルド・アイゼンハワーがテッド・ベイツ社にテレビ宣伝を委託し、同社が初めて選挙用コマーシャルを製作して放映した。ここからアメリカのイメージ政治、イメージ選挙の時代が始まった。
テッド・ベイツ社の重役ロサー・リーヴスは広告宣伝で大成功をおさめた人物だった。彼はアイゼンハワーを全く商品と同じように宣伝した。いや、むしろ商品そのものとして扱った。実際彼の宣伝戦略は商品広告のためのコマーシャルの基本的手法と全く同じだった。アイゼンハワーは第2次大戦の英雄であり、親しみやすい風貌を持っていたので売り込みやすい商品であったといえる。リーヴスは世論調査を実施して大衆が何を求めているのかを把握した上で、コマーシャルの内容、その宣伝コピーを製作した。これは商品広告の方法と全く同じである。リーヴスはこう言った。「政治家は世論が何を望んでいるかを知った上で政策を変えなければならない それはコーンフレークの箱の色が消費者の好みにあわないとわかったら色を変えるということと何も変わりはしない 政治家たちは選挙に勝ちたいと思っている 私は彼らが信念を持っているなどとは思わない ケネディもアイゼンハワーも信念など持っていなかった アメリカの政治家は誰もそんなもの持ってやしないのだ」つまり、独自の信念など持たずに国民のニーズに合わせて政策をころころ変える軽薄な者こそアメリカ大統領となれるのである。

ケネディも同じだった。彼はまさしくテレビが生んだ大統領であり、アイドルだった。若々しい風貌、快活そうなしぐさやふるまい、ボストンの大金持ちで、ハーバード大学出身のエリート、美しい夫人とかわいい子供。テレビで伝えられる彼のイメージが大衆を虜にした。人々は彼に夢を託したのである。つまりケネディは人気アイドルや映画スターとほぼ同じ存在であった。テレビ時代に入って政治家は多かれ少なかれアイドルと同じ要素を持つ必要がでてきた。人々は彼の政策を支持したのではない。テレビの作り出すイメージに恋したのである。感情的に気に入ってしまえば、大抵の言葉を支持できるようになる。しかもケネディは大衆が嫌がるような耳障りなことは一切言わなかった。
ケネディとニクソンがテレビで討論した際、ニクソンが全くテレビ戦略に無知であったのに対し、ケネディはメーキャップを施し、白黒の画面にはえるような色のスーツを選んだ。テレビを見た視聴者は大部分がケネディが討論に勝ったと答えた。しかし、ラジオで討論を聴いていた者は半々がケネディとニクソンが互角の勝負をしていた、と答えたのである。

アメリカ大統領は選挙に勝つために様々なパフォーマンスをテレビ電波に乗せている。数を上げればきりがないが、アメリカ史上最も悪質といわれたプロパガンダCMを紹介してここはしめくくるとしよう。
「少女とひな菊」
小鳥のさえずる声が聞こえる野原を背景に、1人の少女がひな菊の花びらを一枚ずつ数を数えながらちぎっていく。4567・・・
少女の顔が静止画となり、花びらを数える声が男の声に変わる。
そして少女の顔がクローズアップされていくとカウンドダウンを始める。9876・・・
少女の瞳が画面いっぱいにクローズアップされ、0を数えると同時に、原子爆弾が画面いっぱいに炸裂し、きのこ雲が映し出される。
そして当時のジョンソン大統領の声が・・・「これが今問われているものです 我々人類が生き残れるか、闇の中に消えていくのか・・・我々は愛し合わなければなりません そうでなければ滅びてしまいます

これはジョンソンの当時の対立候補が、ベトナム戦争で戦術核使用やむなしとするタカ派であったために、彼が選ばれれば核戦争が始まることをほのめかす強烈なプロパガンダだった。そして少女とひな菊は平和の象徴として描き出され、それをジョンソンが守るということを暗示させた。これはあまりにインパクトが強かったために、あちこちから抗議の声が上がり、結局1度電波に乗ったのみで2度と放映されなかったという問題作なのである。しかし、そのプロパガンダ効果を後の広告会社や政治家が参考にしないではいられなかった。
大衆宣伝においては政治家の主義主張は極めて単純化されなければならない。それはたった一つの短いスローガン、あるいはたった一つのイメージによって描き出されたときに大衆の心を捉える力を最も強く発揮する。それはナチの「ドイツよ目覚めよ!」「全ての労働者に職とパンを!」であったり、ボルシェビキの「万国の労働者団結せよ!」「我々は鎖以外にに失うものは何もない」といった単純なスローガンを何度も繰り返したことによって大衆の心をつかんだことと本質的にはほぼ同じである。しかし、単純化はしばしば歪曲を生む。そしてイメージによって軽薄に支持するアメリカ大衆を他山の石とすべきではなかろうか。

~プロパガンダ戦術~

さて、これまでに大衆の性質と、それを操作する攻撃兵器であるメディアの威力について説明してきた。ではいよいよプロパガンダの具体的戦術について事例を挙げながら詳しく書いていこう。もちろん戦術は奥が深く全て説明することはできない。ここでは筆者が主観で選んだものをいくつか紹介するにとどめて、より詳しく知りたい人にのみ、参考文献を勧めるとしよう。

思想を単純化し、断定し、反復せよ

思想は凝縮され、1つか2つの言葉で表現されなければならない。ル・ボンによれば「大衆は言説の論理に感動するのではなく、ある言葉が作り出す響きやイメージに感銘する」。↑の少女とひな菊の部分で解説しているとおりである。ヒトラーも次のように述べている。「大衆は無理解ですぐ忘れてしまう。だから理性で説得するのではなく、演説の内容は最低レベルの知的水準の者がわかるぐらい単純化されなければならない」。ゲッベルスも次のように述べる。「一般市民は我々が想像する以上に原始的である。したがってプロパガンダは常に単純な繰り返しでなければならない。諸問題を簡単な言葉に置き換え、識者の反対などものともせずに、その言葉を簡明な形で繰り返し繰り返し主張する者こそ、世論に影響を与えるという最終的な結果を残すことができる」。(現代日本での例:「全米ナンバーワンヒット」など)

また、大衆は、ムッソリーニやル・ボン、カブリエル・タルドによれば「指導されることを待っている」存在である。
大衆は強力な指導者を無意識のうちに模倣し、自発的に服従しようとする。そのような強大な指導者が迷うことなく断定することによって、大衆は安易にそれを信じ込み、それを聞く人々を帰依者と変える。ムッソリーニも「山でも動かしうるのは信仰である」と言った。指導者は反論を許さぬ圧倒的な命令、疑問の余地なき明確な言葉によってプロパガンダを行わなければならない。あいまいさは暗示の効果をてきめんに弱める。
ヒトラーも演説は常に主観的で一方的でなければならないとし、次のように述べた。「例えば新しい石鹸を売り出そうとしているポスターで、他の石鹸も有効である、と書いたらどうであろう?人々は呆れて首を横に振るよりほかにない。政治も同じである。民衆の圧倒的多数は冷静な熟慮よりもむしろ感情的に行動を決めるという女性的素質を持っている。この感情は極めて単純で閉鎖的である。肯定か否定か、正か偽か、愛か憎か、であり、決して半分はそうとか、半分は違うとかいうようなことはない。宣伝は確信させるため、大衆に確信させるためのものである。」